アラフォー国際結婚ワ―ママの「清く、強く、美しく!」

小手先テクには興味なし!筋トレと良い習慣の取り入れからなる 「清く、強く、美しい」 大人の女性化計画進行中~!

その結果は、自分次第

上司の上司に、こう聞かれた。

 

「ビジネスの上で、一番有意義だと思うアドバイスは何?

で、それは誰に教えてもらったアドバイス?」

 

.......私の答えは、こうだ。

 

「沢山ありますが、全てこれから派生したものですね。

幸せかどうかは、自分次第である』」

 

 

by アリストテレス...

 

上司からの突っ込みのコメントはなかった(笑)

 

こんな哲学的なものじゃなくて

もっと具体的な、身近な人からのビジネスのコツを想定していたのだろう。

 

でもねえ、これ、本当にビジネスに役に立つんですよ。

上司には説明できなかったけど、要するに言いたかったことは、こうだ。

 

置かれている状況がどうであれ、

決して、生まれた環境、今の状況、他人のせいにしない。

自分が出来ることのみに意識を向け、それをすることに集中する。

 

 

この概念が、私の仕事や人間関係を円滑にするのに、どれだけ役に立っていることか。時間やエネルギーの無駄をなくし、物事の結果を出すのにどれだけ効果的か。

 

とても言葉では表現しきれない。

 

 

私がこれを自分の生き方に応用できるようになったのはつい最近だが

昔は、とくに子供時代は、それが出来ずになんとストレスの多い毎日だったか。

うちの息子は当時の私に似てすぐ機嫌が悪くなるので

早くから気持ちの切り替え法を覚えて欲しく

機会を見て彼にも勧めてみる。

 

息子は、案の定、ふくれる。

 

「なんで?他の人が絶対に悪いこともあるよ。不公平じゃん!」

 

そうなんだよね。人生は不公平。

でもさ、それ、デフォルトだと思うといいよ。

いちいち怒ってても、エネルギーのムダ。

 

他の人が悪い?

ああ、確かにね。

自分が正しいのを分かって欲しいっていうのは、当然だよね。

 

君の意見は、ことごとく正しい。

 

でも、正しいこと=役に立つ、ではないんだよね。

その主張を続けて、何か君が「プライドの維持」以外に、具体的に得るものはある?

冷静に考えてみて、欲しいものは、何?

 

相手に勝ちを譲ってるわけじゃない。

法廷じゃない限り、勝ち負けなんて、どうでもいい。

 

君は確かに被害者かも。

でも、被害者意識でいても、だーれもかまってくれない。

悪いのは相手?

うん、それも正しいかも。

でも、むくれていて面白くないのは、自分だけ。

相手は痛くも痒くもないかも。

しかも、そんな嫌な思いをしてるのに、状況は全く変わらない。

 

 

仕事でもそうだ。

「やらされている」感がある仕事は、ただの労働。

「養う家族がいるし」「家業だし」「条件がいいし」辞められない...

どれも正論。

 

でも、考えてみて欲しい。

その正論で、何が得られるか。

 

昔、武田真治さんという俳優がいた(いや、今もいるって)。

何だか忘れたけど、「トレンディ・ドラマ」(笑)の類に出ていたのを覚えている。

20代の頃は、色が白く、細く、中性的なフェミ男としてウケていた人だ。

 

その武田真治さん。

40代の今、知らない間に肉体改造をし、細マッチョになられていた。

 

そのいきさつなどを語った著書のタイトルが、これだ。

優雅な肉体が最高の復讐である

 

 

おお...このタイトルで、もう全てを悟ったわ。

画期的な言い方。

 

美尻を得た自分が、くびれのない東洋人として生まれ悔しかった過去の自分への、最大の復讐である」(長い!笑)

やりたい仕事が出来ている自分が、やりたくない仕事ばかりやっていて辛かった過去への、最大の復讐である」

 

結果を得ることを前提として言っている感が、新鮮だ。

もうそれを得た気分になる。この前向き感がいい。

被害者意識はそこにないし、「復讐」といいつつも、ドロドロ感も皆無。

こういういい考え方は、自分にバンバン応用して、使わせていただくに限る。

 

悔しくなったとき、なんで自分だけと思った時...ぜひ。

 

 

www.gentosha.jp

パワフルな女性

週末、旦那と舞台を見に行った。

 

この国で有名な男優さん&女優さんがメインキャストとして出てるもの。

普段は殆どTVを見ない私でも、この二人は知っている。

そのぐらい知名度のある人達だ。

 

女優さんの方は、道端で売ってるゴシップ誌の表紙の常連さんだ。

『XX(女優さんの名前)が本誌だけに語る秘密! :  わたしは、本当は一途な女なの』みたいな、もう果てしなくどうでもいいタイトルの下で、

申し訳程度の布を付けただけのほぼ裸同然の姿で、セクシーポーズで決めている。

そのお歳、40後半だ。

 

まあ何とパワフルだこと...

 

40~50代になると、世間も自分も『歳も歳ですし、今後は穏やかにつつましく生きましょうか』みたいなスタンスになる日本。

60~70代にもなると、ショートカットが増えて、

キャメル色や茶色、みたいな色を好み始めて

おじいさんだかおばあさんだか、だんだんわからなくなっていく。

 

対して、この国。

女は死ぬまで女でなければ!と、世間も本人も思っている層が圧倒的だ。

60だろうが80だろうが、派手な色の服、きらっきらなイヤリング、真っ赤なルージュ。

何週間に一度は美容院。爪にきらめくマニキュア。

歳をとるほど、華やかになる。

 

ここでも、『加齢は自然現象、受け止めましょう。シワも、それを刻んだ人生の深さを見出しましょう』みたいな禅モード全開になる日本と

『加齢?歳なんてただの番号。シワ?そんなもの、整形でさっさと取りましょう』

という、自分万歳エゴ万歳、なこの国(皆が皆じゃないけどね)。

 

年に1回ぐらいなら、美容整形に保険が効くお国柄。

お金のある芸能人なんかは、それこそ歳などなんのその、の勢いだ。

この国で一番権威のある、いわばタモリさんのようなワイドショーの司会者は女性で、

この国の人で彼女を知らない人はいないが、歳は90歳に近い。

まさに『笑っていいとも』みたいな感じで、彼女メインの生放送の番組を40年間ぐらい(?)続けているそうだ。

他にも、50代・60代でも、朽ちることなくキレイでセクシーで売っている芸能人も多い。

皆、超・熟女ですが(笑)それにしても、驚くほどの迫力だ。

勿論、定期的に整形手術して、胸を膨らまし、シワを取ってますけどね...

 

これを美と呼ぶか、往生際がないと見るか。

良い・悪いではない。ただの文化の違い。

 

私はその辺の文化の違いは正直どうでもいいのだが

それにしても、このエネルギーはあっぱれと思う。

自然現象に逆らうのは、並大抵のことじゃない。

パワーがないとできない。

 

さて、舞台に戻る。

凄くいい席に当たったこともあって、その女優さんを5メートルぐらいの距離で間近に見ることが出来た。

 

結論から言うと、圧倒だった。

 

いや、あの真ん丸の、ボーンと出た胸と完璧なお尻は詰め物が入っているけど

シワも、リフティングで全部取ってるんだろうけど

めちゃくちゃ厚化粧だけど

そして、さりげなく着ているブラウス、ジーンズとヒール、実は目が飛び出るほど高いんだろうけど

 

彼女という存在が、そんな『詳細』はどうでもいい程、圧倒的だった。

これだけ迫力のある歳のいった女優さん、日本にはいるだろうか?

『芸人』、『人間』としてクローズアップされるのではなく、『女』として。

 

私は大昔に高級ホテルに勤めていたこともあり、実は有名人と呼ばれる人達を結構見ている。

有名人を見るたびに、いつも思っていたこと。

メディアでは大きく迫力があるけれど、実物は細く小さい人が何と多いのだろう、ということだ。

 

その女優さんも、やはり背は思ったより低く、そして細かった(胸とお尻バーンですが)

でも、そこから、生命力がギラギラしていた。

堅物のうちの旦那はこういう女性が苦手で、だから私みたいな日本人と一緒にいるのだろうけど、彼女のことも、『整形お化け』と苦笑していた。

が、世間に誰に何を思われようが言われようが、恐らくこの人はへっちゃらだろう。

 

で、キレイかどうかは別として(いや、キレイですが、造られた美だね)

私自身は、彼女の存在は決して嫌でなかった。

いや、もっと見たかったかな。

あの凄まじいエネルギーに、上手く言えないけど、パワーをもらった。

 

オチはない。

これだけだ。

 

さて、日本で、誰かこういう人はいたかな...?

 

 

あ、いた。

松田聖子さんだ。

 

男女関係

10代のある時期に、物流会社でアルバイトをしていたことがある。

 

その会社は、レストランの食材を半加工する部と、それを店舗ごとの注文に応じて仕分けする部、そして、トラックに積んで運搬する部の3つで出来ていた。

 

私は、仕分け部に配属された。

 

仕分け部は、社員1名、パートのおばさま方10名、バイトの10~20代の男性で構成されていた。

10代女子は、私一人だった。

 

確かに、10代の女子が積極的に選ぶようなバイト先ではない。

長時間立ちっぱなしで、重いものを上げ下げする作業もある。

冷蔵庫・冷凍庫に入るときもある。

給食当番のような出で立ちで作業するのでオシャレなどとは無縁だし、

ハッキリって肉体労働だし。

 

私の場合、近所で時間の都合がつき、時給が100円ぐらい高かった(笑)ということで選んだ。スポーツをして鍛えていたので、肉体労働も問題ではない。

他にも掛け持ちでウェイトレスのバイトをしていて、そちらはかわいい制服とお客相手で楽しかったので、こちらは効率・効果が全てで、仕事内容などはどうでもよかった、というわけ。

 

同じ時間帯に勤務する5人ぐらいの男性メンバーとは直ぐに打ち解け、

仕事帰りにカラオケにいったり、飲んだり(はい、未成年でした。すみません)する仲になった。

男性だけ5名の中に年下の10代の女が一人となると、体育会系のごつい私でも(笑)、姫扱いされた。

ホルモンが花咲く(笑)10~20代、全員バイトという気楽な身分もあり、

その中の幾人かと惚れた腫れたの恋愛沙汰に発展して、皆で青春学生ドラマのような日常を送った。

それはそれで、なかなか楽しい日々だった。

 

しばらくして、私達のグループと同じ時間帯に、新しいパートの女性が入った。

40代の女性だ。栄子さん。

この人が、一筋縄ではいかない魅力とカリスマを持った人だった。

 

派手な顔立ちに、しっかりと施したお化粧。

中年らしく、顔のしわやお腹のたるみ、おばちゃんっぽい話し方などはあるが

でも、なぜかとても色っぽい艶がある人だった。

 

私達は、直ぐに打ち解けた。

 

栄子さんは、お昼にアボカドのサラダを分けてくれて、言った。

「お肌にいいから食べなさい。普段の食生活をおろそかにしたら、美貌はないわよ」

化粧室では、こう言われた。

洗顔後には、冷たいお水で引き締めるといいわよ。今から習慣にすれば、私ぐらいの年齢になったときに差が出るから」

 

17歳の双子の男の子の母であるという彼女は、話してみれば主婦や母ではなく「女」の部分が際立っていて、早く大人の女になりたかった自分は、彼女との会話で色々なことを学べるのが新鮮だった。

 

彼女は、事務職やら百貨店での化粧品販売やら、それこそいろいろな職を経験してきたが、今は掛け持ちでラブホテルのスタッフとしても働いているとのこと。

なるほど、そりゃ色っぽくもなるはずだ(笑)

でも、私が息子さんと同世代の「少女以上、女性未満」であることをちゃんと忘れない。

世間がきけば顔をしかめられるようなことは、言葉を選びながら、下品の一歩手前で巧みに止めて話す、思慮深い頭のいい人だった。

 

さて、隣の食材加工部のリーダーは、色白で一重目が涼しげな、きりっとした純日本的なけっこうイイ男で、気の多い私は気になった。

 

さっそく、栄子さんにその旨を伝えた。

 

「栄子さん、XXさん(食材加工部リーダー)って、いい男だと思いません?

うちの部のOOさんも素敵だけど、あの人もいいかな~」

 

栄子さんは、こう答えた。

「ああ、あの子(XXさん)は確かにいいわねえ。キビキビ動くし、ちょっとはにかんだ笑顔も可愛いし。ちょっと待ってね」

栄子さんはすばやく動いて、XXさんは今フリー(彼女なし)で、私のことを悪く思ってはいない、等という情報をさらっと手に入れてきた。

しかも、ポケベル番号のおまけつき。

(ポケベルが何かを知らないナウなヤングは、検索してね!笑)

 

余りの見事な早業に、驚きやら嬉しさやらでボーっとする私に、栄子さんは続けた。

 

「##ちゃん(私のこと)。

私はここの男の子たちはとっても感じがいいし、働き者だし、##ちゃんが誰と仲良くなろうが深い仲になろうが、別にいいと思う。

 

でもね、##ちゃんぐらいの年齢の男女は、どこにいようが誰であろうが

特定の時間を一緒に過ごせば、必ず惹かれ合ってしまうのよ。

これは自然の原理で、そこに条件や個人は全く関係ないの。

だから、男を選ぶときには、自分を置く環境を選ばなきゃだめよ。

 

ここの男の子たちは、やっぱり皆、似通ったタイプでしょ?

下請けの運送会社のバイト、って身分を差別する気もさらさらない。

私達だって人のこと言えたもんじゃないしね。

 

でもね、誤解を恐れずに言うけど、賢く選びなさい。

つまらない男にくっついちゃダメよ。」

 

仕事経験はバイトしかなく、環境を選べと言われてもピンとこなかった幼い私は、「へえ、そうなんですか~」みたいな、軽い返事しかできなかったと思う。

 

でも、それから、そのXXさんと何度か会話し、デートに発展して、

程なく彼が見かけほど良い男ではないのに気付いた。

一緒にいても、つまらないのだ。

 

その後、わたしはふとしたことから日本を出て外国に移住することになるのだが、

過ごした環境は、外国という事もあって貧富の差が激しく、色々な階級やタイプの男女が集まる所だった。

しかし、ここでも、どういう集団であっても、そこにいる男女は少なからずカップルになっていた。

今、それらを過去のデータとして思い出してみると、栄子さんのコメントは真髄をついていたと思う。

 

 

「男女が惹かれるのは、その人がどうこうではない。

同じ環境で、いくらかの時間を共有するだけで、どうしても惹かれ合ってしまう」

 

 

かのXX氏が見掛け倒しであることを、たかが3分程のおしゃべりで悟った栄子さん。

彼女と過ごした日々は短かったが、もっと色々なことを教わりたかったなあ、と思う。

期間限定のカッコよさ?それとも、恒常的なカッコよさ?

10~20代の頃は、オプションが無限にある服やら靴やらバッグやらの中から

どれくらい素敵なものを見つけることが出来るか、

そして、それらをいかに趣味良くセレクト&コーディネートして

身に付けたり着こなしたりできるか

「キレイになる」「あか抜ける」「カッコよくなる」とは、そういうことだと単純に思っていた。

 

スタイリストやセレクトショップのスタッフというのはそのお手本で、

どこどこの店に行けばどういうアイテムがあって、最新モデルや新しい色が出て、などの情報に敏感な人や詳しい人は「オシャレさん」と呼ばれる...そう思っていた。

 

恐らく、大半の人もそう思っているだろう。

だからこそ、ファッション雑誌やサイトが巷に溢れるわけで。

 

それは決して間違いではない。

 

 オシャレを追求する人たちは、そんなことはどうでもいいと思っている人達よりも魅力的で、とても好感が持てる。私は好きだ。

自分としても、いかに自分スタンダードでいつまでもキレイでいられるかに興味があるので

「外見なんてどーでもいいわ」という人たちとは、馬が合わないことが多い。

貴方が今20~30代だとしたら、「え?外見なんかどうでもいい人いるの?」と思われるかもしれないけれど

40代以降は、なぜか大半がそうなってしまうんですよ...

 

でも、最近思うのだ。

20~30代の「トライ&エラーの総計結果」として

40代の今、確信をもって社会に伝えたい私の主張の一つなのだけれど

 

オシャレであることやセンスがいいこと

そこからくるカッコよさというのは、ある一定の期間限定だ。

だから、それをキープするには、常にアップデートしなくてはいけない。

 

無駄だ、と言ってるのではないよ?

でも、これでカッコよくなるには、ある程度の経済力と精神の余裕が必須。

古今東西・年齢を問わず・格差関係なくフレンドリーなやり方ではない。

 

この20年間ぐらいの間、数えきれない数の「カッコいい人」を観察して気づいたこと。

カッコいい人達には、2種類ある。

 

1.旬なときだけ、または、条件が合った時だけカッコいい人たち

2.常にカッコいい人たち

 

1は、上記で述べたようなオシャレさんだ。いわゆる、センスのいい人達。

 

ファッションリーダーや、流行に詳しい人達。素敵な着こなしで、持ち物もクールで。

ただ、帰宅して、その素敵な衣装を脱いで部屋着に着替え、メイクを落として、寄せて上げるブラを外し(笑)、お菓子をつまみながらソファーでくつろぐ時には、別人になってしまう。

ビーチサイドや温泉、キャンプやアウトドアなどでは力を発揮できないし

環境が変わったり、加齢、人生の難題、貧困などが襲ってくると、そのカッコよさをキープするのは途端に難しくなる。

カッコいいのは、着こなしや見せ方がクールな時の自分だからだ。

第一印象は抜群でも、ちょっと話してみたらなんだかガッカリ、という危険性もある。

子供が生まれて、自分のことにだけ構っていられなくなったママさんが途端に劣化してしまうのは、グループ1の典型。

 

 

対する、グループ2。

彼らも、素敵なアイテムを身に付けることもある。で、それらはないよりはいい。

でも、ハッキリいって、それはおまけだ。

彼らはどうあってもどこにいても何をしても、なぜか魅力的だ。

体型や顔の造形、経済力や置かれている状況などは、一切関係ない。

私は貧富の差が歴然とする外国に住んでいるが、

いわゆる美形でなくとも、そしてスラム街出身でも、驚くほどカッコいい人というのは確かに存在する。

 

なぜか?

ざっと思いつくのは、これらの共通点だ。

 

1.姿勢が良い

2. 表情が良い

3.目力がある

4.人生に前向きである

5.健全である

 

簡単なようで、実はこの1つ1つは、非常に奥が深い。

そして、これら5つは密接に繋がっている。

でも、難しいことは置いておいて簡単にまとめると

内面が充実すると、外見に揺るがないカッコよさが

が出るということだ。

 

外見を磨けば、自信が付き、内面も変わる。

これはグループ1。

やらないよりは、やったほうがいい。

 

でも、内面を充実させると、チマチマしたことは特にしなくても、

なぜかどーんと見た目もカッコよくなる。

これが、グループ2。

 

グループ2の在り方は抽象的で、やり方もいまいちわからない。

だから皆、グループ1に飛びつくのだろうね。目に見えるだけ、こちらのほうが簡単。

 

でも、少しずつでもいい。

体や心に有害なものを減らすように努め

家族や友人など、誰でもいいから大切な人への愛情を感じ(ペットでもいいかも)

諦めていた、自分が心からやりたいことや目標を拾いなおし

だらだらと、言い訳で満ちた生き方を軌道修正してみない?

 

周りの条件が変わったぐらいではビクともしない、味のあるカッコよさが出る。

それは、貴方の生き方そのものともいえる。

 

 

 

からだは着るものに勝る

ふとしたことから、ライザップの動画を見てみた。

別に何でもよかったんだけど、検索結果で出てきたのは、

DA PUMPYUKINARIさんが、5カ月で16キロぐらい痩せたヤツだ。

 

パーソナルトレーナーを付けて、

ご飯を食べながら、トレーニングで筋肉を付けたYUKINARIさん。

 

5カ月後の肉体が、凄い。

醸し出す雰囲気も、凄い。

 

5カ月前の彼は、どこにでもいる普通の中年男性にしか見えなかったのが

ライザップ後の彼は、まさに「ザ・芸能人」だった。

同一人物で、しかも男性だから、化粧とかではごまかせる範疇も限られている。

しかも、パンツ一丁で撮影しているから、服でもごまかせない。

嘘・偽りが、一切ない。ありのままだ。

 

別人になっちゃったよ!

(というか、元に戻ったんだよね。彼の場合は)

 

ところで、表題の標語は、ライザップではない(笑)

聖書です。

マタイによる福音書の6章25節に、こうあるのだ。

 

それだから、あなた方に言っておく。

何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命の事で思いわずらい、

何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。

命は食物にまさり

からだは着るものにまさるではないか。

日本聖書協会~口語訳)

 

聖書の言葉というのは様々な解釈が出来る。

その結果、宗派が別れたりして争いも起きることもあるのだけれど

個人レベルでも、読むときの状況や年齢などで

何をどのように理解するのかは全然変わるものだ。

 

私はクリスチャンの家庭に生まれ育ったので、

聖書は物心ついた時から読んでいる。

 

今まで何度この箇所を読んでも

「上辺だけのことにとらわれちゃだめだよ。

お洒落とかグルメとかにうつつを抜かすんじゃありませんよ」

みたいな、親や先生のようなお説教じみたものにしか聞こえなかった。

 

でも、筋トレ生活にハマっている今、

この箇所が、全く違う観点で心の中にストーンと入ってきた。

 

 

からだは着るものにまさるではないか。

 

 

さっきのYUKINARIさんが、頭に浮かんできた。

 

マッチョやマッチョ・ウーマン(笑?)が露出多めの服を着たがるのは

別に他人に見せびらかしたり、羨ましがって欲しいからではない。

(まあ、中にはそういう人もいるでしょうが 笑)

 

私も筋トレにハマって結構長いので、

普通一般の女性より筋肉がハッキリと見える体をしている。

なので、これは実体験から言えるけど

筋肉というのは、体をほんとうに、ほんとうにキレイに見せる。

 

この(自分の)筋肉の美しさを見てビックリさせられると、服なぞ二の次になるのだ。

もはや「服で飾り立てる」という意識はなくなる。

筋肉をいかに綺麗に見せるか、にオシャレの重点が変わっていくのだ。

 

 

そんな中、勤めてる会社から、年末の社内パーティーの案内が来た。

(早いね!もう年末まですぐだよ!)

 

私は海外在中なので、こういうパーティーへの招待は結構あるが

結婚して子供が生まれてからは、夜出かけるのは結構大変で

だいぶご無沙汰していた。

 

今回は、ガラと呼ばれるロングドレスで行く完璧正装ではなく

それよりちょっと格を落とした、でもカジュアルではない、カクテル・パーティーのようだ。

 

独身時代に買い溜めしたので、カクテル・ドレスみたいなのは家に3,4着ある。

古いドレスだけど、オーソドックスなものは流行を超越して着まわせるのだ。

 

久しぶりにそれらを出してみて、試着してみた。

で、驚いた。

 

ああ、やっぱり筋肉がある体は違う。

20代の頃はドレスそのものが目立ったが、

今回、鏡の中のドレスは、完全に脇役だ。

肩と背中の筋肉のライン、上がったお尻と、

わずかながらもあるくびれ(昔よりはある!笑)...

これらが際立っている。

でも下品でなく、しっくり見える。

 

地味に、しみじみと、でもハッキリとした幸福感を感じた。

 

圧倒的に、20代よりも上手くドレスを着こなせる体に、40代にしてなっている。

っていうか、ドレスは出来るだけシンプルなモノのほうが良いぐらいだ。

 

 

からだは着るものにまさるではないか。

 

しつこいけれども、これ、真実ですよ、皆さん。

 

 

あと、おまけ。

 

断捨離のテーマで、増えていく服をどうする?っていうのがあるけれど

筋肉を付けちゃえば、もはや服に頼ったり、服でごまかそうというのがなくなるので

簡単に処分できますよ!

 

 

堂々と、あなた自身であれ

今から20年ほど前...

私が日本人であると分かると、この国の人は、こんなことを言ったものだ。

 

「日本人って、生魚を食べて、いつも写真を撮ってて、大勢で自転車で移動するんでしょ?」

 

この国は、世界的に見てとてもマイナーであり、日本との接点は、ほぼない。

良いも悪いも、国民は日本を良く知らない。

ゆえに、日本人に対する差別感情もない。

上記コメントは、悪気がなく述べられたものだ。

 

 

当時はインターネットがない時代。

日本に関する情報なんて、皆無に近い。

 

魚や写真は仕方がない。だって、本当の事だ。

生魚、と言われるとなんかグロテスクだけど、お刺身は確かに皆良く食べる。

そして、確かに日本人は、外国への観光時にはカメラを持参し、写真を撮る。

自転車に関するコメントは、ちょっと謎だけど

恐らく、中国やベトナムなどで大勢の人たちが一塊になって自転車で移動するイメージと日本がごちゃまぜになっているのだろう。

 

それにしても、これを言われる度に、私は内心あまり面白くなかった。

悪気はなくとも、「あなたたちって、変わってるよね」という

「わたしたち、普通。あなたたち、何か変でカッコ悪い」みたいなニュアンスは拭えなかったからだ。

全く悪いことなどしていないのに、何か引け目のようなものを感じていた。

職場でおにぎりを食べたり、カメラを持って出かけるのがためらわれた。

 

 

そして、月日は経ち...

 

 

 

インターネットが登場し、外国人観光客が増え、

この国にもグローバリゼーションの波が押し寄せる。

保守的な国民は、外国で流行っている新しい食材に目を向けるようになる。

ダイエットやらジムやら健康食品について人々が関心を持ち始めたのも、この頃。

カロリー控えめで油分が少なく、健康にいい和食は注目を浴び、一気にブームになった。

 

お寿司という遠い異国の料理を、これまたお箸という棒を使って食べる...

このいかにもエキゾチックなところが、最先端でファッショナブルと捉えられ、

「Sushiとシャンパン」は、今やオシャレな外食メニューNo.1として定着した。

 

そして、写真。

スマホの登場と共に、老若男女問わず、誰でもいつでもどこでも写真を撮るようになった。

裕福層も貧困層も、みんなスマホを持っている。

少数民族の部族も、スラムの人達も、スマホだけは持っているこの不思議。

フェイスブックツイッターフォトログ、インスタグラムなど

写真を投稿したり見たりする場所も増え、

もはやこの国の人は、写真なしでは生きられないだろう。

 

そして、自転車。

いつの間にやら、エコでフィットネスにもなる乗り物として、都会で頻繁に用いられるようになった。これも、環境を考慮する現代社会の流れだろう。

政府は街のあちらこちらに自転車用の道路を作り、一定数の自転車を無料で貸し出す程になった。

自分で自転車を買う人も圧倒的に増え、かつてない程、自転車屋の商売は繁盛している。

スタイリッシュな自転車に、これまた有名どころのウェアとお揃いのヘルメット。

週末、川沿い等をサイクリングするオシャレな若者たちが増えた。

 

 

 

私は、しみじみ思う。

人の意見、世間の評価、流行り、ある特定の時代・土地に受け入れられるかどうかなどは、本当に取るに足らないことだ。

時間が過ぎて振り返れば、それらは絶対に変わっている。

それらを貴方の軸にしてはいけない。

 

「生魚を食べて、写真を撮って、自転車を使う」

 

たった20年前には、「変なの!」だったアイテムが、今は「カッコいい」の代名詞。

あの頃の日本人は、流行の最先端にいたのだよ!この国の皆さんよ!(笑)

それらが受け入れられた今、もはや「日本人は20年前から生魚を食べて、写真を撮って、自転車を使っていた」とわざわざ考える人はいない(私ぐらいだ)。

 

だからね

 

自分が好きでやっていること、自分が納得してやっていることなどに関して

例えまわりから「変わってる」と言われようが

例え他人の評価が得られなくとも

変な引け目を感じる必要は全くない。

 

貴方は、次世代の流行の最先端にいるかもしれないのだ。

堂々とやるべき。

後に時代が貴方に追いついたとき、貴方は理解される。

 

 

子持ちでアラフォーの私が本気で筋トレにハマっているというと、10人に9人は驚く。

褒めていただくこともあるが、内心引いてるな、というのは

話していてなんとなく感じ取れる。

 

しかし、私はもう引け目はこれっぽっちも感じない。

ふふふ...

今は時代の流れは速いから、20年もいらないだろう。

3~5年もすれば、筋トレはもはやアラフォー女性には常識になるかもしれない。

 

鏡の前で筋肉チェックをする私の隣を、小学生の息子が通り過ぎる。

筋トレしてるお母さんを持つクラスメートなんていないよ!と言われたことがあるけれど

「そういえば、うちのお袋は、筋トレが常識になる前からやってたな」と

息子は将来大きくなった時に、今の私を思い出して、そんな風に思うかな?

 

これからどう時代が変わっていくのか、とても楽しみな今日この頃である。

 

 

 

 

風邪と、メンタル撃沈と、そこから得た悟り

体調を崩して、早1週間近くダウンしている。

いや、「していた」と過去形にしたほうがいいかな?

おかげさまで、今日はブログを書けるぐらいまで回復している。

 

先週の今日頃、筋トレクラスに行った際

いつもは喜々として挙げるダンベルを持つ気力がなく、自分で驚いた。

今月は忙しかったし、寝不足と疲れだな、と軽く思っていた。

そして、そこにさらに生理が始まるという、ダブルパンチ。

 

風邪は年に1・2回引くか引かないかぐらいで

後はホルモンバランスが崩れる程度

その他は常にエネルギーが有り余っている自分

一度病気になると、溜まっていたものが一気に落ちるようだ。

 

仕事を休むのはどうも気が引ける日本人気質の私だが、今回は4日も休ませてもらった。

しかし、仕事はどうにかなっても、主婦業はやめられん。

食事は避けられないし、掃除や洗濯は溜まると大変なことになる。

旦那は1・2日ぐらい夕飯作ったり子供の世話をしてくれるけれど

息子も反抗期だし、第一彼も仕事が忙しいのでどんどん疲れが溜まり

3日以上になると家のムードが険悪になる。

一人暮らしの風邪も大変だけど、チームプレーで成り立っている家族がいる場合、その内メンバーの誰かが体調を崩すと本当に大変だ。

息子が赤ちゃん時代だった頃は、もはや記憶すらない(余りにも過酷すぎて、自分を守るために、自分の潜在意識が勝手にメモリー削除したみたい)。

 

ということで、この一週間は怒涛の日々だった。

 

そして、その間の私の「体・心」のダウン具合といったら、なかった。

いや~ 興味深かった。

何しろ、ポジティブとテキトーと筋トレぐらいしか取り柄のない私が、「人生辞めたい」と思ったぐらいだから。

 

流石にアラフォーという年の功もあり、

こういう「絶賛ネガティブキャンペーン120%祭」みたいな時には

「体調が悪いだけ。人生、こういう時もある。いつかは過ぎる」と人生卓越した感の別の自分がまず出てきて、弱っている自分をなだめるのだけど、それと同時に

「もういや。何もかも嫌。仕事したくない。家事も育児もどうでもいい。家族どうでもいい。っていうか誰とも接したくない。筋トレとか人生の意味とかどうでもいい。日本帰りたい。美味しいモノ食べて寝て、日本のウチワネタのブログ見て笑って、漫画見て現実逃避したい。とにかく楽したい(←!?)」

という、あり得ない精神レベルの自分がわらわら出てくるわ、出てくるわ...

しまいには、日本が恋しくて乙女のように泣きだす始末(←海外在中20年以上のアラフォーおかんですよ?)

隠れストレスの溜まり様とホルモンバランス破壊感が半端ないな、自分...と思わされた。

 

前述のように、体が弱っている時にメンタルが弱くなるのは普通の現象であり

普段あまり体調を崩すこともないので

調子が悪いと、一気に大袈裟なまでにドーンと悪くなるパターンが多いことはもう長年の経験で解っている(あと、更年期だし...⤵)

 

なので、ズーンと落ち込んでも「ああ、またか...乗り越えねば」となるが

これを人生初めて体験する10代とか20代の若者だったら、下手すると真に受けて人生狂う場合もあるかもしれないなあ、とふと思う。

ただの風邪でここまで落ちるのだから、もっと深刻な病気と闘病されている方々はどうなのだろう。

または、留学中とか国際結婚したてとかでなれない異国で孤独にやってたり

乳幼児育児でとにかく毎日がサバイバルの人

別にそこまで特殊でなくとも、ごく普通の生活を日本で送っている人でも

皆何かしら傍からは見えない苦しみや悲しみを抱えて生きているんだろうなあ

大変だろうなあ、いや、皆さん生きてるだけで偉いよなあと、異常にセンチメンタルになり、世間一般を相手に、勝手に涙する。

 

うん... 悲しみや苦しみは人生において何に役立つか、というと、まあ色々回答はあるが

私のような能天気なイケイケ人間には、他人の痛みを思いやる心や、当たり前のことにも感謝する心を思い出すという面で、良い薬かもしれない。

 

私は、筋トレで人生は有意義になるという考えの支持者だけど、

筋トレそのものを始める為の力すら出ない時、

そもそも考えようとする気力すらない時もあるのが人生、というのも十分理解しているつもりだ。

 

ここ数日間の検索ワードが凄い。

  • 風邪 辛い時
  • 何もかも辞めたい
  • 人生つらいとき

...

 

おーい、辛い辛いうるさいよ、どんだけネガティブだよ、自分...と、自分で1週間前の自分を突っ込む。

でも、これ、わかる。

既に8割がた回復しつつある今でも、わかる。

弱っている時って、イケイケ感やハッピーオーラ全開の情報なんて、見る気がしないのだ。

 

ルックスの美しさとかオシャレとかビジネスの合理性とか最新とかスピードとか成功術とか、実はこれらは結構好きなジャンルの情報なのだが、この1週間はこういうテーマは驚くほど受け入れられなかった。見るのもヤダ、という感じ。

逆に、日本のもの、とにかく穏やかで、健全で、やさしく、人間くさく、時に懐かしいものを欲し、

ネコ・犬の癒し系のブログや、日本での何気ない日常を綴った主婦の方のブログ等をひたすら閲覧する日々。

 

この現象が3~4日続いたところで、ふと悟った。

これは、老後の予行練習では...

今は、なんだかんだ言ってまだ若いし(日本では4人に一人が60歳以上だそうですし)

筋トレが好きでライフワークにしたいというのも別にいいし、今後も続くだろう。

でも、それとは別に、自分の心の奥深くにある、飾らない自分の本質というのも、ここらでじっくり省みる必要があるのではないか?

 

昔、老人介護施設でボランティアをした際

そこで働いていたプロの方が、しみじみ仰っていた。

「人は、老いて弱くなると、その方の今までの生き方と共に、その方の本性というか、本質が見事に出るのですよ」

 

ルックスの美しさとかオシャレとかビジネスの合理性とか最新とかスピードとか成功術とか

これらはまさに、今までの私が夢中になってきたものだ。でも、

「日本のもの、とにかく穏やかで、健全で、やさしく、人間くさく、時に懐かしいもの」

若い頃には、辛気臭いと一蹴りしてきたであろうこれらのキーワードをこれほどまでに辛い時に欲したということは、これらを潜在意識の中で大切に思っている自分が確かにいるのだろう、ということだ。

 

この国で20年近くやってきて、とにかくサバイバルの日々だったと思う。

色で例えれば、日本のたおやかな色彩とは逆反対の、原色だらけの日常。

ショッキングで、強くて、見て受け入れる側にも体力と気力がいる。常に戦いモード。

そして、それは今でも変わらない。

幸い親日国で女性に優しいお国柄とあり、得したり大目に見てもらうこともあったけど、それでも辛いことや試練の数は計り知れない程あり

それを乗り越えてこられたのは決して自分だけの力だけではないことは分かっているけど

でも、ここまでやってきた、やってこれたと誇りに思うと同時に、

ここへ来て、何かひと仕事終えたような、人生の区切り地点にいるような気がする。

ここから、人生の折り返しのような気がするのだ。

 

これからまた一つ一つを選択して人生を歩むことになるが

そして、まだまだ老後を考えて大人しくなるには早すぎるが

がむしゃらに前だけみて突っ走ってきた体育会系の自分からは、明らかに卒業の時が来た。

訓練の時期は終わり、成熟の時期、何かをじっくりやり始める時が来たな、と思う。

 

「日本のもの、とにかく穏やかで、健全で、やさしく、人間くさく、時に懐かしいもの」

これらは、辛い時の自分が発した大切なキーワードだ。

いわば、見かけだけでない価値のあるもの、人生の終わりを迎えようとするときに、自分が思い出すものなのかもしれない。

こういう、普段滅多に知ることが出来ない自分を見れたことが、今回最大の収穫であり、悟りだ。

 

情報溢れる現代、あれもこれも良くて魅力的で、周りの意見やブームやそれらに影響されて、そこから出る目標も、そういう気はさらさらなくとも自分の本質とは全く違う次元のものになっているかもしれない。

それは別に悪い事ではないのだけど、最大の問題は、それを得た時に「あれ、何か違った」と気づくこと。

人生の終わりになって、自分が今まで必死になって目指してきたことは、実は何一つ価値のない事だった、ということがないように

これからは、本質的な自分も無視せずに、一つ一つを選択して生きていこうと思う。