【たくましく美しく生きる術】Blog by Nina S.

人生、40歳からが本番 ~ パワフル&エレガント

【生活感のない女】

「生活感がない」女とは、どういうヒトだろう?

 

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ほめ言葉か、けなし言葉か...

解釈の仕方は色々あると思うけれど...

 

私自身は、「貴方は生活感のない女性だね」と言われたら、凄く嬉しい。

20~30代だったらちょっと微妙だけど、

40以上になってこれを言われたら

「貴方は所帯じみておらず、誰かの妻や母である前に、一人の女性として見えますよ」ということだと、都合良く解釈できるじゃない?(笑)

 

もはや最高のほめ言葉の一つだ。

 

 

生活感がない、とは、生活のごたごたや所帯じみた匂いがしない女...

何とも憧れる。

 

日常のゴタゴタ感にまみれて、

生活感どこじゃない、生活臭くなりがちなのが、普段の自分だからね!

 

欲を言えば、「ぱっと見はちっとも生活感のない女、でも、実は家事・育児なんでもこい、の肝っ玉母さん」になりたいな。

そのギャップが、最高の魅力になると思うから。

 

「肝っ玉母さん」というけれど、別に結婚してなくても、子供がいなくても、関係ない。

要は、40ぐらいになったら、いざとなったら男でも子供でもどーんと面倒みれますよ、という母親のような包容力を持つ女、ね。

 

ところで、肝心なのは、「いざとなったら肝っ玉」っていうところ。

見かけから「肝っ玉」なのは、論外!

肝っ玉かあさんを知らない方はこちら↓ 笑)

 

 

それだと、ただの「お母ちゃん」か「おふくろさん」道まっしぐらだ。

私に「お母さん」を感じる必要があるのは、私の子供だけでいい。

世間一般にそう思われる必要はない。

 

見た目「生活感がない」、でも、中身「肝っ玉」を目指して、がんばります!

 

時が良くても悪くても

「時が良くても悪くても、すべきことを淡々とする」

 

これがどれだけ難しいか。

知識として頭で納得するだけと、実際に実行できるのは、全く別の次元の話。

 

私の場合は、これが曲がりなりにもなんとか出来るようになったのは、親になってから。

選択肢がなく、やるしかなかったから。

 

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子供がいない頃は、準備が完璧に整っていないと動かない人間だった自分。

で、何かをする時には完璧にやりこなさないと、満足できなかった。

感情や体調や状況に振り回されて、気が向かない時にはやるべきことは放っておいて、お酒を飲んでふて寝したり、馬鹿食いしたり、落ち込んでうだうだしたりしたこともあった。

万全なコンディションじゃなきゃ嫌で、常に100%キレイに何かをこなしたい、とこだわっていたその昔は、精神的に子供だったなあ、としみじみ思う。

勿論100%やりたいけれど、状況的に80%ぐらいで我慢しなくてはいけない時、または、最悪の状況でも50%狙わなくてはいけない時...人は一皮むける。

 

別にキッカケは子育てである必要はないけれど、

こういう大変な思いをしながら、人は少しずつ大人になるのだと思う。

 

前述の通り、自分の思うままに生きてきた私も、子供という責任が出来たら最後、そんな優雅なことは言ってられなくなった。

赤ん坊と幼児は、過酷な課題を「え?今?」っていうタイミングで、容赦なく課してくる。

予定通りに物事が進むことは殆どない。

ベストタイミングなんて待ってたら、何も出来ないのでやるしかない。

また、どんなに「最悪なタイミング」でも、やらないという選択肢はない。

 

どんなに疲れていても、職場で何かあって悩んでいてブルーでも、

おむつを替え、授乳をして、寝かしつけて、泣いたら抱っこして...

ちょっと大きくなって手がかからなくなっても、ご飯は絶対に作らなくてはいけないし。

 

鍛えられたなあ...いや、まだ現在進行形なんだけどね。

子育ての日常の大変さに比べたら、部活の地獄の特訓なんて、軽いものだ。

(学生時代、全国大会に出場するような強豪チームで本格的に運動をしていました)

 

さて、これを書きながら、仕事(と筋トレ)で疲れた体にムチ打って、

猛スピードで夕飯の買い物をし、

子供と旦那が散らかしたリビングとベッドルームを片付け、

子供をお風呂に入れて、

洗濯機をまわし、

夕ご飯を作ったのに...

 

日中動きまくった子供は疲れていたらしく、ソファーで熟睡。

疲れたしお腹はすくし、先に食べてさっさと寝てしまいたいけれど、

何とか我慢して旦那の帰宅を待っていたら、

遅く帰ってきた旦那は機嫌が悪く、

しかも「体調悪いからもう寝る、夕飯いらん」だってさ。

 

誰も手を付けていない夕食テーブルを片付ける。

台所には片づけが残っている。

洗濯物も干さなきゃ...

 

ふー、辛い。

疲れた...

報われない...

何で私だけ?

今日全然いいことなかったじゃん...こんな辛い毎日、ずっと続くのかなあ?

どんどん思考がネガティブになっていく。

フラストレーションが半端ない。

 

汚れた調理器具、自室に連れて行かなきゃいけない子供...その他、やらなきゃいけないことが山積み...めんどくさい、やりたくない...

 

でも!

 

ここは修行だと思って、えいや!と踏ん張る。

ネガティブ思考を、「いやいやいや、そうじゃないって」と戒める。

がんばれ、自分!

 

ばーっと残りの家事をこなしてしまう。

もう寝よう!

明日は明日の風が吹く...

 

こうして、こういうなんでもない、でもきちんと辛いステップを一つ一つ乗り越えて、

恐らく人は成熟していくのだと信じて疑わない。

筋トレと同じで、メンタルも適度な荷重を与えていくことによって強くなるのだ。

 

「時が良くても悪くても、すべきことを淡々とする」

 

筋トレは、継続して淡々とやるもの。

一気にマッチョになる人はいない。

大人になる近道なんて、ない。

成熟に至る楽な道なんて、恐らくない。

 

成熟といえば、果物もワインも、熟れてたほうが断然美味しい。

どうせなら、うんと美味しい熟女目指してやろうじゃないの!

 

 

大人の女

 

人間と言うのは、心がけとコツ次第で、面白いぐらい変われる。

 

良く言われることだけど、アラフォー以降の女は、変わる。

 

この力に逆らえず、落ちる人はどんどん落ちて、

外見も中身も、どっぷり「お母ちゃん」や、おばさんや、

若さを諦めきれずに整形や派手な服を捨てられないイタイ人になったり、

逆に、もう女であることを捨ててしまったような、

意識も行動もおじさんっぽい人になってしまう人もいる。

 

 

ところで、私は、

上等な大人の女に近づくべく、意識するべく行動の覚書のようなものを冷蔵庫に貼りつけて、いつも見ている(日本語なので家族は誰も読めないので、恥ずかしくない)。

 

体(筋トレ)、精神(メンタルの筋トレ)、習慣(良い習慣の取り入れ・継続)とともに、周りが私を語るときに、「あの人はこういう人」と形容する項目がこれらであってくれるように...

それぐらい「私」のイメージとしてこれらが自然になるまで、意識して取り入れていこうと思う。

 

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私が自分に応用すべく意識している、理想のアラフォー女...(意識・行動編)

 

1.余裕

ガツガツしない。浮つかない。はしゃがない。ムキにならない。

 

2.言葉遣い

流行り言葉、ヤンキー語、下品な話し方、子供じみた話し方は、卒業。

 

3. 間

1.の応用。

会話がふと止まってしまっても、無理して話したり、受け狙いをしなくていい。

相手の目を見て、狼狽えずに、その沈黙を、色気のある瞬間に変えることが出来るか?

 

4.男性は「男」として尊重

いやらしい意味ではなく、話し相手が男であるときは、誰であっても「男」、そしてそれに対する自分は「女」であることを忘れず、自分という女の華で飾ってあげるぐらいの心意気でいられるか?

 

結構、世の中の女性って、男性を男性として扱ってないような気がするので。

その証拠に、これをすると、大抵、自分も女性として大切に扱ってもらえますよ...

 

5.ポジティブ

かまってちゃんが可愛い「女の子」とはとても言えない歳になりましたからね...(笑)

悩みや問題があれば、落ち着いて考えて理論的に解決に向かうし、

必要であれば誰かに相談もするけれど、

他人のせいにしたり、愚痴を言ったり、ネガティブ思考にハマったりはしない。

 

6.プライベートを必要以上に公にしない。

 

7.自分の目標を明確にし、自分の世界を持つ。

付き合い、は最低限(リアルでも、ソーシャルメディアでもね)。

世間一般に流されない。

空気の良さ、居心地の良さに負けない。

 

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今後、項目はまだまだ増えると思う。

 

10~20代の小娘だったころ、大人の女に憧れた。

体系も美貌もそれなりに維持した、明らかにもう若くない、でも、カッコいい女性。

バーで一人でお酒を飲んでいる姿が様になるような。

人生にちょっと疲れたような、色気のある女、ね(笑)

勿論その雰囲気が出せるのは、内面も大人の女なので、

何の経験もない自分には無理なのは明確で、羨ましかった。

 

無理して黒ずくめの格好をして笑われたり、

年上の男性と付き合ったり、

飲めないお酒を飲んで頑張ったりして、逆にみっともなかったなあ。

 

アラフォーの今、そういうシチュエーションにいても、

「背伸びしている」と笑われることがない、(歳だけでいえば)立場になりつつある。

それなりに、色んな経験もしてきた。

 

うわ!何か、そう考えたら、ワクワクしてきた。

もしかしたら、今すぐは無理だけど、少しずつ、昔なりたかった自分になれるかも。

昔理想だったけど手が届かなかった大人の女性に...

 

その為に日々努力していくのが、この頃、最高の楽しみだ。

 

 

 

 

海外留学は、逃げ?

この間、「中学(または高校・大学)デビュー」という言葉を思い出して、

そういや「海外デビュー」っていうのもあるな、と思った。

 

日本で色々思う事あり疲れてしまった人が

海外に留学なり遊学なりすることを「逃げ」と非難することもあるようだけど

私自身は、「逃げ?大いに結構」と思う。

 

生き方なんて、何度でも変えていい。

周りは笑ったり貶したりするかもしれないけど、それが何?

他人は貴方の人生の責任を負ってはくれない。

 

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独りよがりや、安易な選択、もしくは怠惰は勿論良くないけれど、

色々と自分なりに解決を求めて努力しているのに自分を見失っている人は、

「世界は広い」事実を思い出して。

 

貴方や周りが見ている「常識」っていうのは、

ただ単に、ある一定の地域の固定観念や、

単に先祖がやってきた行動から来る習慣である事実を思い出してほしい。

 

私自身、海外生活は20年以上になるので、

世界は広いな~と思わされた事の例には事欠かない。

その中から1つ、くだらない、でも、非常にわかりやすい例を挙げる。

 

私は冬生まれなので、子供の時、何かダサい(←死語 笑)なあ、と気に入らなかった。

冬生まれというのはなんとなく暗い感じで、夏生まれの、太陽が一杯で明るいカッコいいイメージの同級生が羨ましかった。

(小学生の頃って、ほんと馬鹿なことで悩むんだよね...)

 

それが...南半球のある国を訪れたとき、言われた。

 

「貴方の誕生日って、夏なのね!

バースデーパーティーはビーチサイドでしょう?」

 

は?

「いえいえ、冬生まれですけど」っていう言葉が喉まで出かかったとき、気づいた。

あ、そうか。

ここは、四季がまるっきり逆なんだ。

 

 

「いや、これは冬に生まれてしまった自分の運命で、今更変えられるものではない。仕方ない」とかなんとかいって諦めていたことが、

いともあっさり、夏生まれになってしまったという(笑)

 

 

可笑しいでしょ?

でもね、貴方のその悩みも、こんな感じで、

環境を変えれば、何もしなくても、そもそもこれは問題ではなかった、ってなる可能性は高い。

世界は、自分が勝手に感じていた限界を、軽々超える。

 

 

ずっと同じ場所に留まることで得られることも、勿論ある。

全員が全員日本を出る必要は勿論、ない。

留まる人がいれば、ちょっと外で色々経験してみようかな、という人がいて良し。

私みたいに、何にも考えないでただ何となく出てしまって、

それきり、これまた何となく永住(今のところ)しながらも、

祖国日本を日々思うのもいいんじゃない?

 

 

私は、ブログに自分の思いを綴ることで

海外に出るか悩む人、出た人、出てしまったけど悩んでいる人、また、やっぱり日本に留まることにした人など、ここからの視点をお届けすることで密かに応援しようと思っている。

 

 

日本が好きだ。

世界中のどの国の人より、同胞の日本人に親密感・親近感を感じる。

今、日本が息苦しくてちょっと海外に出てみようかな?と思いながらも、

「逃げ」と非難されている人、がんばれ。

結果的に行くとしても行かないとしても、

流されたり、不貞腐れて堕ちることを選ばず、

「変える・変わる」という選択肢を考えている貴方は、偉い。

 

応援しています。

一生筋トレ宣言

近所で、これからジムにいくであろう、おばあさんとすれ違った。

 

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さっと読んだら、なんてことない文章だけど...

気づいた?

 

「これからジムに行くであろう」...「おばあさん」...

 

そう。

彼女は、白髪で、顔にクッキリと入ったシワが目立つ、

パッと見で70代、という感じの方だった。

おばあさん、っていういい方は失礼かもしれないけど、

60歳はとっくの昔に越えている、という雰囲気だったので、敢えて使った。

 

しかし、背筋をしゃんと伸ばし、颯爽と闊歩するその姿は見事だった。

カッコいい現代風のトレーニングウェアに、スポーツバッグとスニーカーという装い。

タンクトップから出た二の腕には、筋肉がついていた。

 

筋肉と言うのは、正しく鍛えれば、年齢に関係なく必ず育つものだという。

ということで、始めるのは、40歳でも60歳でも全然遅くない。

やれば必ず結果が出る。それが、筋トレ。

 

思えば、この世の中、やれば必ず結果が出る、と保証されていることって余りない。

人生は平等、人生は不平等...意見は分かれると思うけれど、

私自身は、この世は大変不平等なものだと思うほうだ。

貧富の差が歴然としている国に住んでいることもあり、

出身地、育つ環境、周りの人等...自分のやる気や努力とは全く関係のない次元で、

既に生まれる前から人生における可能性が限られてしまっている人を毎日見ている。

「やる気があれば、努力すれば、何でもできる」とは、気楽に思わない。

 

話が脱線したので、筋トレの話に戻るけど...

 

私が筋トレにハマる理由の一つ。

それは、筋トレは、誰でもやれば必ず報われ、

フィジカルへもメンタルへも良い習慣を与えてくれる、

弱者・敗者やアラフォー以上の年代に希望を与えるものだからだ。

 

筋トレは、生まれもった性質や、人種のコンプレックスを取り除く。

私は日本人にしては長身で大柄だけど、

お尻だけは典型的東洋女性で、ペタンとしていた。

胴からヒップのラインがほぼ直線で、くびれ、全くなし。

しかも、肩幅が大きく筋肉質ときて、バランスが非常に悪いのが悩みだった。

でも、ヒップは筋肉なので、なんと筋トレでヒップアップが出来るのだ!

徐々に、ではあるが、筋トレをする今、夢だった女性らしいラインに近づきつつある。

 

スタイルをキープする20代・30代と言うのは全然珍しくないけれど、

それが40代となると、同世代の半部は脱落していく。

50代ともなれば、その殆どは一気に老けていき、4分の1も残らないだろう。

↑あくまでも、個人的見解です

 

ということは、

60代、70代で美しい筋肉がついた体を維持する、というのは、

もう存在するだけでもある意味「勝ち」(何の?笑)ではないだろうか。

 

冒頭の女性は、完全にこの勝ち組女性だった。

他の分野で特に快挙をあげることがなかろうと、

この体系を維持しているというだけで

「うわ、この人スゴイ」と思ってしまうから不思議だ。

いや、不思議でもなんでもないな。

ある程度歳がいってからの肉体維持は強い意志と良い習慣がモノをいうので、

大抵こういう肉体を維持できている人というのは、只者ではないことが多い。

きらりと光る生き方の秘訣を1つや2つ、持っているものなのだ。

ちょっと話してみて生き方を聞いて、参考にさせてもらいたくなる。

 

小学校でパッとしなかった子が、中学に入学と同時に髪型や自分のキャラを変えて再スタートする「中学デビュー」(高校や大学でのバージョンもアリ)みたいに、

今迄の人生でパッとしなかった人達が、

老後に「筋トレデビュー」する人が増えたら、きっとカッコいい。

 

そうやって、幾つになっても、どんな過去を過ごしてきたとしても、

「これからいくらでも良くなる」と前向きに考えられる人が

一人でも増えたらいいなあと心底思う。

その強い味方...それが、筋トレだと思う。

自分探し

「え?雨がこんなに降っているのに、ジム行くの?信じらんない!」

 

同僚の20代の女の子が、ランチタイムにいそいそと支度をする私を見て、目を丸くして驚く。

 

それにつられて、周りも私を見る。

 

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私は、余程のことがない限り、最低でも週3回はジムに行く。

雨なんて、なんてことない。恐らく台風でも行くだろう。

同僚の内では、「あの人はお昼はジム」というのは、もう暗黙の了解となっている。

 

皆、内心、どう思っているんだろう。

「意志が強いね!」「健康に気を付けていて、感心だね」が建前だけど、

本音の本音は、「アラフォーさん、体系維持に必至だね~」かな(笑)?

 そこまでしなくても、って笑われているかも。

 

でも、全然気にならない。

強がっているわけではなく、本当に気にならないのだ。

 

私は最近、「自分は、ジムに行って筋トレをするのが好きな人間なのだ」と確信を持った。

その時から、筋トレは、明確に私の人生の上での優先項目の一つとなった。

そうしたら、驚くほど、周りの反応や意見は気にならなくなった。

そして、圧倒的に、生きやすくなった。

もう資格取りとか料理の腕を上げるとか仕事で昇進するとか、そういうことはどうでもよくなり、やることとやらなくていいことがハッキリしたからだ。

 

自分が生きる上で何がしたいのかが良くわからなかった時、

つまり、俗にいう「自分探し」をしていた頃、

周りの人が持っているものや、やっていること、それらが常に気になった。

 

皆、私が持っていないものを持っているように見えて、

羨ましくて、内心嫉妬して、

影響されたり、真似したり、逆にわざと見ないようにしたり。

あれもこれも試して、努力してみて、いつも疲れていた。

いつも「これじゃない」「何か足りない」気が拭えなかった。

アラフォーになって、もう取り返しがつかないのでは?と絶望した。

 

人生でやりたいこと、というのは、壮大でないといけない気がした。

それこそ、世界平和とか、国際協力とか、社会貢献とか。

それらを、職業としてつきつめて、フォーマルな形で達成しなければいけないのでは、

と勝手に思っていた。

でなければ、結婚や出産等の、「人生の大イベント」が起きれば、その穴が埋まり、しっくりくるのではないかとも期待した。

でも、結婚しても同じだった。

子供が出来ても、同じだった。

 

 ハッキリ言って、筋トレだけでは具体的になにが「自分」なのか、まだよくわからない。

筋トレを通じた「人生でやりたいこと」が何なのかも、良くわからない。

でも、それでも確実に前進している感がある。

 

なぜ筋トレが好きなのかというと、それは、単純に運動が好きだからというのもあるけれど、やれば必ず自分の体系が理想に近づくのが楽しいし嬉しいからだ。

では、ボディメイクを通じて、本質的には何がしたいの?と言われると、答えに詰まる。

別にモデルやトレーナーを目指しているわけでもないし、自慢したいとかモテたいとかでもない。

強くてきれいな女性が好きで、それを自分なりに体現したい、が、正直な答えだろうか。

完全に自己満足の世界だ。

でも、それでいいんじゃない?と思うようになったのは、本当に最近のことだ。

前は、それに何となく気づいていても、恥ずかしくて自分自身で認められなかった。

 

自分探しなんて、自分に本当に正直に、自分の好きなことに素直になれば、

案外直ぐに見つかる気がする。

 

で、本当に好きな事を好きと認めて、堂々とやり始めると

周りは始めこそちょっとうるさくなるけど

そのうち、「あ、こいつ本気だ」と、一目置いてくれるようになる。

それが自分のキャラになる。

そして、それは、自分の好きなものであるので、自分でも違和感がなく、しっくりくる。

そう言われること、見られることが、しっくりくる。

自分、見つけた。

 

貴方は、何が好き?

 

 

 

 

 

 

年上の男性... 美のコーチ

「女性って、そういう色のネイル、良くするね。

でも、俺はさ、ベージュの...マットっていうの?

光らないタイプに惹かれるんだよね」

 

「それ、ネックレスかぶれ?

キスしようとした男が、引くよ」

 

「口をすぼめて拗ねる顔をするのは、やめな。

君は女でしょ?女の子じゃない」

 

「もう40?関係ないね。

あんなイイ女はいない。絶対ものにして見せる」

 

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上記は、それぞれ違う男性との、ふとした会話に出てきたフレーズだ。

上司、会社の講師、友達...

皆、その当時の私よりも、10~20歳以上年上。

4人とも、それぞれのビジネスで成功していた実力者。

 

女性の扱い方、というものに慣れた人生の経験者達は、

20代の小娘だった私に、兄心?親心?からか、色々とアドバイスしてくれたものだ。

それは決して口うるさいものではなく、下心もなく、ユーモアのセンスに優れていた。

 

こういう種の年上の男性というのは、究極の美のコーチだ。

今ならわかる。

 

対する自分は、「へー、そうなんだ」と思うだけで、

彼らのアドバイスの本質を理解する成熟さは、まだ持ち合わせていなかった。

 

派手な色のネイルをし続け、

ゴタゴタとジュエリーをつけ続け、

「かわいい」=「美」と勘違いし、

「若い」=キレイ、と思い続けていた。

 

その後、10年、20年の月日が流れ...

 

彼らのアドバイスが、

どんな女性向け雑誌やサイトの特集よりも

大人のイイ女になるために有効であったかが、しみじみ思う。

 

 

ところで、その当時、私には、ある年上の女友達もいた。

マチュア級の、スポーツ選手だった。

鍛え上げられた引き締まった体に、普段の装いはジーンズにタンクトップ。

ウェイブのかかった長い髪を自然におろし、化粧はなし。

サバサバしつつも、女らしさを感じさせる不思議な人だった。

そして、完璧に「自分のスタイル」というものを持っていた。

 

前述の最後のフレーズ、

「もう40?関係ないね。あんなイイ女はいない。絶対ものにして見せる」

と言ったのは、彼女と共通の男友達だ。

 

彼は、彼女に夢中だった。

昔から彼女に言い寄っているが、彼女からは「友達以上、恋人未満」と、軽くあしらわれていた。

 

その事を知っていた私は、ふとした会話の流れで、彼に「彼女、もう40歳になるみたいよ」と言ってみたのだ。

 

その時の彼の応答が、それ。

 

私は別に、彼のことが好きだったわけではない。

ただ、彼が、皺も一本もない若い自分には見向きもせず

アラフォーの彼女に首ったけだったので、

なんとなく面白くなかったのだ。

 

 

自分もアラフォーになってみて、ふと考える。

どうして彼が惹かれたのが、私でなく彼女だったのか。

 

答えは、いうまでもない。