【たくましく美しく生きる術】Blog by Nina S.

人生、40歳からが本番 ~ パワフル&エレガント

【熟女】と過ごした日々

今日の一歩

自分を置く環境を、選ぼう

 

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10代のある時期に、物流会社でアルバイトをしていたことがある。

 

その会社は、レストランの食材を半加工する部と、それを店舗ごとの注文に応じて仕分けする部、そして、トラックに積んで運搬する部の3つで出来ていた。

 

私は、仕分け部に配属された。

 

仕分け部は、社員1名、パートのおばさま方10名、バイトの10~20代の男性で構成されていた。10代女子は、私一人だった。

 

確かに、10代の女子が積極的に選ぶようなバイト先ではない。長時間立ちっぱなしで、重いものを上げ下げする作業もある。冷蔵庫・冷凍庫に入るときもある。

 

給食当番のような出で立ちで作業するのでオシャレなどとは無縁だし、ハッキリって肉体労働だし。

 

私の場合、近所で時間の都合がつき、時給が100円ぐらい高かった(笑)ということで選んだ。スポーツをして鍛えていたので、肉体労働も問題ではない。

 

他にも掛け持ちでウェイトレスのバイトをしていて、そちらはかわいい制服とお客相手で楽しかったので、こちらは効率・効果が全てで、仕事内容などはどうでもよかった、というわけ。

 

同じ時間帯に勤務する5人ぐらいの男性メンバーとは直ぐに打ち解け、仕事帰りにカラオケにいったり、飲んだりする仲になった。

はい、未成年でした。すみません 笑

 

男性だけ5名の中に年下の10代の女が一人となると、体育会系のごつい私でも(笑)、姫扱いされた。

 

ホルモンが花咲く10~20代、全員バイトという気楽な身分もあり、

その中の幾人かと惚れた腫れたの恋愛沙汰に発展して、皆で青春学生ドラマのような日常を送った。

それはそれで、なかなか楽しい日々だった。

 

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PexelsによるPixabayからの画像

 

 

しばらくして、私達のグループと同じ時間帯に、新しいパートの女性が入った。

 

40代の女性だ。栄子さん。

この人が、一筋縄ではいかない魅力とカリスマを持った人だった。

 

派手な顔立ちに、しっかりと施したお化粧。

中年らしく、顔のしわやお腹のたるみ、おばちゃんっぽい話し方などはあるが、なぜかとても色っぽい艶がある人だった。

 

私達は、直ぐに打ち解けた。

 

栄子さんは、お昼にアボカドのサラダを分けてくれて、言った。「お肌にいいから食べなさい。普段の食生活をおろそかにしたら、美貌はないわよ」

 

化粧室では、こう言われた。「洗顔後には、冷たいお水で引き締めるといいわよ。今から習慣にすれば、私ぐらいの年齢になったときに差が出るから」

 

17歳の双子の男の子の母であるという彼女は、話してみれば主婦や母ではなく「女」の部分が際立っていて、

早く大人の女になりたかった自分は、彼女との会話で色々なことを学べるのが新鮮だった。

 

彼女は、事務職やら百貨店での化粧品販売やら、それこそいろいろな職を経験してきたが、今は掛け持ちでラブホテルのスタッフとしても働いているとのこと。

 

なるほど、そりゃ色っぽくもなるはずだ(笑)

 

でも、私が息子さんと同世代の「少女以上、女性未満」であることをちゃんと忘れない。

世間がきけば顔をしかめられるようなことは、言葉を選びながら、下品の一歩手前で巧みに止めて話す、思慮深い頭のいい人だった。

 

さて、隣の食材加工部のリーダーは、色白で一重目が涼しげな、きりっとした純日本的なけっこうイイ男で、気の多い私は気になった。

 

さっそく、栄子さんにその旨を伝えた。

 

「栄子さん、XXさん(食材加工部リーダー)って、いい男だと思いません?うちの部のOOさんも素敵だけど、あの人もいいかな~」

 

栄子さんは、こう答えた。

 

「ああ、あの子(XXさん)は確かにいいわねえ。キビキビ動くし、ちょっとはにかんだ笑顔も可愛いし。ちょっと待ってね」

 

そして、すばやく動いて、「XXさんは今フリー(彼女なし)で、私のことを悪く思ってはいない」等という情報を、さらっと手に入れてきた。

 

しかも、ポケベル番号のおまけつき。

(ポケベルが何かを知らないナウなヤングは、検索してね 笑)

 

余りの見事な早業に、驚きやら嬉しさやらでボーっとする私に、栄子さんは続けた。

 

「##ちゃん(私のこと)。私はここの男の子たちはとっても感じがいいし、働き者だし、##ちゃんが誰と仲良くなろうが深い仲になろうが、別にいいと思う。

 

でもね、##ちゃんぐらいの年齢の男女は、どこにいようが誰であろうが

特定の時間を一緒に過ごせば、必ず惹かれ合ってしまうのよ。

 

これは自然の原理で、そこに条件や個人は全く関係ないの。だから、男を選ぶときには、自分を置く環境を選ばなきゃだめよ。

 

ここの男の子たちは、やっぱり皆、似通ったタイプでしょ?下請けの運送会社のバイト、って身分を差別する気もさらさらない。私達だって人のこと言えたもんじゃないしね。

 

でもね、誤解を恐れずに言うけど、過ごす環境を賢く選びなさい。どうでもいい環境で、不本意にどうでもいい男とくっついちゃダメよ。」

 

仕事経験はバイトしかなく、環境を選べと言われてもピンとこなかった幼い私は、「へえ、そうなんですか~」みたいな、軽い返事しかできなかったと思う。

 

でも、それから、そのXXさんと何度か会話し、デートに発展して、

程なく彼が見かけほど良い男ではないのに気付いた。

一緒にいても、つまらないのだ。

 

その後、わたしはふとしたことから日本を出て外国に移住することになるのだが、

過ごした環境は、外国という事もあって貧富の差が激しく、色々な階級やタイプの男女が集まる所だった。

 

しかし、ここでも、どういう集団であっても、そこにいる男女は少なからずカップルになっていた。今、それらを過去のデータとして思い出してみると、栄子さんのコメントは真髄をついていたと思う。

 

 

「男女が惹かれるのは、その人がどうこうではない。

同じ環境で、いくらかの時間を共有するだけで、どうしても惹かれ合ってしまう」

 

 

かのXX氏が見掛け倒しであることを、たかが3分程のおしゃべりで悟った栄子さん。

10代の小娘であった私に、年下の若い男の子から交際を申し込まれるような艶のある40代熟女は、何を思いながら過ごしていたのだろう。

 

彼女と過ごした日々は短かったが、もっと色々なことを教わりたかったなあ、と思う。

【オシャレより筋肉】

今日の一歩

モノを揃えるより、ハダカを磨こう

 

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ふとしたことから、ライザップの動画を見た。

DA PUMPYUKINARIさんが、5カ月で16キロぐらい痩せたというストーリー。

 

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PexelsによるPixabayからの画像

パーソナルトレーナーを付けて、

ご飯を食べながら、トレーニングで筋肉を付けたYUKINARIさん。

 

5カ月後の肉体が、凄い。

醸し出す雰囲気が、別人。

 

5カ月前の彼は、どこにでもいる普通の中年男性にしか見えなかったのが

ライザップ後の彼は、まさに「ザ・芸能人」だった。

 

男性なので、髪型や化粧等でごまかせる範疇は、限られている。

しかも、パンツ一丁で撮影しているから、服でもごまかせない。

嘘・偽りが、一切ない。ありのまま。

 

別人になっちゃった...

(というか、元に戻ったんですね、彼の場合は)

 

ところで、表題の標語は、ライザップではなく、聖書。

マタイによる福音書の6章25節に、こうある↓

 

それだから、あなた方に言っておく。

何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命の事で思いわずらい、

何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。

命は食物にまさり

からだは着るものにまさるではないか。

日本聖書協会~口語訳)

 

 

 

聖書の言葉というのは様々な解釈が出来る。

その結果、宗派が別れたりして争いも起きることもあるのだけれど

個人レベルでも、読むときの状況や年齢などで

何をどのように理解するのかは全然変わるものだ。

 

私はクリスチャンの家庭に生まれ育ったので、

聖書は物心ついた時から読んでいて、内容にも詳しい。

 

今まで何度この箇所を読んでも

「上辺だけのことにとらわれちゃだめですよ。

お洒落とかグルメとかにうつつを抜かすんじゃありませんよ」

みたいな、親や先生のようなお説教じみたものにしか聞こえなかった。

 

でも、筋トレ生活を続ける今日、

この箇所が、全く違う観点で心の中にストーンと入ってきた。

 

 

からだは着るものにまさるではないか。

 

 

さっきのYUKINARIさんが、頭に浮かんできた。

 

マッチョやマッチョ・ウーマン(笑?)が露出多めの服を着たがるのは

別に他人に見せびらかしたり、羨ましがって欲しいからではない。

(まあ、中にはそういう人もいるでしょうが 笑)

 

私も筋トレにハマって結構長いので、

普通一般の女性より筋肉がハッキリと見える体をしている。

 

なので、これは実体験から言えるけど

筋肉というのは、体をほんとうに、ほんとうにキレイに見せる。

 

この(自分の)筋肉の美しさを見てビックリさせられると、服なぞ二の次になる。

もはや「服で飾り立てる」という意識はなくなる。

筋肉をいかに綺麗に見せるか、にオシャレの重点が変わっていくから。

 

 

そんな中、勤めてる会社から、年末の社内パーティーの案内が来た。

 

私は海外在中なので、こういうパーティーへの招待は結構あるが

結婚して子供が生まれてからは、夜出かけるのは結構大変で

だいぶご無沙汰していた。

 

今回は、ガラと呼ばれるロングドレスで行く完璧正装ではなく

それよりちょっと格を落とした、でもカジュアルではない、カクテル・パーティーのようだ。

 

独身時代に買い溜めしたので、カクテル・ドレスみたいなのは家に3,4着ある。

古いドレスだけど、オーソドックスなものは流行を超越して着まわせるのだ。

 

久しぶりにそれらを出してみて、試着してみた。

で、驚いた。

 

ああ、やっぱり筋肉がある体は違う。

20代の頃はドレスそのものが目立ったが、

今回、鏡の中のドレスは、完全に脇役だ。

 

肩と背中の筋肉のライン、上がったお尻と、

わずかながらもあるくびれ(昔よりはある!笑)

これらが際立っている。

でも下品でなく、しっくり見える。

 

地味に、しみじみと、でもハッキリとした幸福感を感じた。

 

圧倒的に、20代よりも上手くドレスを着こなせる体に、40代にしてなっている。

もはや、ドレスは出来るだけシンプルなモノのほうが良いぐらいだ。

 

 

からだは着るものにまさるではないか。

 

しつこいけれども、これは真実。

 

 

【世間の評価】=どうでもいい

今日の一歩

「他人は私の人生に無責任」と自覚しよう

 

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今から20年ほど前...

私が日本人であると分かると、この国の人は、こんなことを言ったものだ。

 

「日本人って、生魚を食べて、いつも写真を撮ってて、大勢で自転車で移動するんでしょ?」

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zooocooによるPixabayからの画像

 

この国は、世界的に見てとてもマイナーであり、日本との接点は、ほぼない。

 

良いも悪いも、国民は日本を良く知らない。

ゆえに、日本人に対する差別感情もない。

上記コメントは、悪気がなく述べられたものだ。

 

 

当時はインターネットがない時代。

日本に関する情報なんて、皆無に近い。

 

魚や写真は仕方がない。だって、本当の事だ。

生魚、と言われるとなんかグロテスクだけど、お刺身は確かに皆良く食べる。

そして、確かに日本人は、旅先の外国で写真を撮っていた。

 

自転車に関するコメントは、ちょっと謎だけど

恐らく、中国やベトナムなどで大勢の人たちが一塊になって自転車で移動するイメージと日本がごちゃまぜになっているのだろう。

 

それにしても、これを言われる度に、私は内心あまり面白くなかった。

悪気はなくとも、「あなたたちって、変」という響きは隠せず

「日本人=ダサい」的ニュアンスは拭えなかったからだ。

 

全く悪いことなどしていないのに、何か引け目のようなものを感じていた。

職場でおにぎりを食べたり、カメラを持って出かけるのがためらわれた。

 

 

そして、月日は経ち...

 

 

 

インターネットが登場し、外国人観光客が増え、

この国にもグローバリゼーションの波が押し寄せる。

保守的な国民は、外国で流行っている新しい食材に目を向けるようになる。

 

ダイエットやらジムやら健康食品について人々が関心を持ち始めたのも、この頃。

カロリー控えめで油分が少なく、健康にいい和食は注目を浴び、一気にブームになった。

 

お寿司という遠い異国の料理を、これまたお箸という棒を使って食べる...

このいかにもエキゾチックなところが、最先端でファッショナブルと捉えられ、

「Sushiとシャンパン」は、今やオシャレな外食メニューNo.1として定着した。

 

 

そして、写真。

スマホの登場と共に、老若男女問わず、誰でもいつでもどこでも写真を撮るようになった。

 

裕福層も貧困層も、みんなスマホを持っている。

少数民族の部族も、スラムの人達も、スマホだけは持っているこの不思議。

フェイスブックツイッターフォトログ、インスタグラムなど

 

写真を投稿したり見たりする場所も増え、

もはやこの国の人は、写真なしでは生きられないだろう。

 

そして、自転車。

いつの間にやら、エコでフィットネスにもなる乗り物として、都会で頻繁に用いられるようになった。

これも、環境を考慮する現代社会の流れだろう。

 

政府は街のあちらこちらに自転車用の道路を作り、一定数の自転車を無料で貸し出す程になったし、自分で自転車を買う人も圧倒的に増え、かつてない程、自転車屋の商売は繁盛している。

 

スタイリッシュな自転車に、これまた有名どころのウェアとお揃いのヘルメット。

週末、川沿い等をサイクリングするオシャレな若者たちが増えた。

 

 

 

私は、しみじみ思う。

 

人の意見、世間の評価、流行り、ある特定の時代・土地に受け入れられるかどうかなどは、本当に取るに足らないことだ。

 

時間が過ぎて振り返れば、それらは絶対に変わっている。

それらをあなたの軸にしてはいけない。

 

「生魚を食べて、写真を撮って、自転車を使う」

 

たった20年前には、「変なの!」だったアイテムが、今は「カッコいい」の代名詞。

 

あの頃の日本人は、流行の最先端にいたのだよ!

この国の皆さんよ!(笑)

 

それらが受け入れられた今、もはや「日本人は20年前から生魚を食べて、写真を撮って、自転車を使っていた」とわざわざ考える人はいない(私ぐらいだ)。

 

だからね

 

自分が好きでやっていること、自分が納得してやっていることなどに関して

例えまわりから「変わってる」と言われようが

例え他人の評価が得られなくとも

変な引け目を感じる必要は全くない。

 

あなたは、次世代の流行の最先端にいるかもしれないのだ。

堂々とやるべき。

後に時代が貴方に追いついたとき、貴方は理解される。

 

 

子持ちでアラフォーの私が本気で筋トレにハマっているというと、10人に9人は驚く。

褒めていただくこともあるが、内心引いてるな、というのは

話していてなんとなく感じ取れる。

 

しかし、私はもう引け目はこれっぽっちも感じない。

ふふふ...

今は時代の流れは速いから、20年もいらないだろう。

3~5年もすれば、筋トレはもはやアラフォー女性には常識になるかもしれない。

 

鏡の前で筋肉チェックをする私の隣を、小学生の息子が通り過ぎる。

筋トレしてるお母さんを持つクラスメートなんていないよ!と言われたことがあるけれど

 

「そういえば、うちのお袋は、筋トレが常識になる前からやってたな」と

息子は将来大きくなった時に、今の私を思い出して、そんな風に思うかな?

 

これからどう時代が変わっていくのか、とても楽しみな今日この頃である。

  

【華麗な男たち】

今日の一歩

男性と過ごして、女っぷりを上げよう

 

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昔々の話...

 

20歳そこそこの若い私は、この国の5つ星ホテルの高級レストランで、ウェイトレスの見習いとして働いていた。

 

普通だったらそう簡単には入れない職場だが、当時は日本語が出来る人材は珍しく、特別に入れてもらえたのだ。

 

この国はマイナーで目立たなく、色々なところが世界基準から見ると遅れている。

しかし、流石にこのクラスの高級ホテルともなると話は別だ。

日本や他の先進国に劣らないレベルのサービスを提供していた。

 

外資系の有名チェーンということもあり、当時でも社内教育はかなり徹底しており、

始業前のグループごとのミーティングや朝礼などもしっかり行われていた。

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そこで、始業前に、うちのマネージャーがいつもスタッフへ放っていた言葉を今でも覚えている。

 

「いいか、諸君。サロン(レストラン)は舞台だ。

ランチでもディナーでも、コアタイムはたったの2~3時間だ。

 

君達は、俳優だ。

その3時間の間、決して気を抜くんじゃない。

 

常に優雅であれ。上質であれ。

お客様の目に耳に、麗しい存在であれ。

 

いくら現代社会がカジュアル支持になろうとも、不変のエレガンスというものがある。

 

上記のサロン・マネージャーは、当時40代。

短髪・漆黒のオールバック、燕尾服の細身の長身、大きな目。

古き良き時代の映画から出てきたような、典型的な伊達男だった。

 

奥さんと息子が一人いるとは聞いていたが、

ハウスキーピングの女の子たちに愛想をふりまいて陰でキャーキャー言われるような、

そして、その中でも群を抜いて美しい熟女と噂になるような、そんな男だった。

 

そんなプライベートでは曰く付きのドンファンでも、仕事はバリバリとこなしていた。

自分の仕事が何よりも好きで、サロンが好きで、プロフェッショナルで

常にジョークを言っては周りも笑わせ、その場に華を咲かせる天才だった。

 

部下である20~30代の給仕達は、彼の言葉に挑発されて、皆背筋を伸ばす。

 

ルックスで雇ったんじゃないかと思われるほど、長身・美形の男が約10人、

朝礼時に集まり、短髪・背広でビシっと決めるその姿は、ため息ものだった。

 

そして

 

夜の部に時々顔を出すレストランの支配人。

彼が来ると、その存在感に、スタッフのみならず客も圧倒されたものだ。

 

皆、彼が来ると喜ぶ。

その場に居合わせた幸運を、誰もが幸せに思う。

ここまでくると、ほとんど有名人と変わらない。

 

50代後半。

豊かな銀髪をキチンとセットし、グレーの三つ揃いの上質なスーツを完璧に着こなす。

どんなときにも慌てず、威厳と貫禄と、落ち着きの見本のような男だった。

 

支配人は、ホテルと繋がっている裏口から入る従業員スタッフとは違い、レストランの正面玄関から突然、お客のように入ってくる。

 

給仕の顔に緊張が走り、お客が手を挙げて彼を引き留める。

「Mr....., お久しぶり!」「Mr...., ご機嫌いかが?」

 

彼はなじみの客と2、3分ずつ雑談し、新しい客にあいさつを済ませると、

大抵バーの右側に座り、バーテンダーとマネージャーと3人で、あれこれ話し始める。

 

支配人が信頼を寄せるバーテンダーは、40代後半

背は低いが、がっしりとした体格に、金髪、緑の目と、低い低い声。

お喋りなマネージャーとは好対照な、クールで大人の魅力が漂う男だった。

 

「自分は別格」と言わんばかり、若い給仕の男連中にはわざと冷ややかな態度だったが、私には、柔らかな視線を向けて静かに話し、娘のように扱ってくれた。

昔はパイロットを目指していたが、目が悪くて挫折したと語ってくれたこともある。

 

私は支配人が来ると、エクスプレッソよりもっと強い、リストレットというコーヒーをお出しするように、マネージャーに言われていた。

 

由緒ある豪華な彫像品を飾り、テーブルや椅子、絨毯の類も、濃厚でどっしりとしている。それに、薄暗い空間。食事が載せられるテーブルを照らすランプ。

 

そんな時代を錯覚させるサロンの中で、

支配人は、エクスプレッソを半分の量にした強い強いリストレットのソーサーを

いかにも高そうな指輪をはめた指でつまみ、グイっと一飲みする。

 

その度にいつも、映画「ゴッドファーザー」のセットに入ったほうな感覚に陥ったものだ。

何時間もサロンで過ごすことがあっても、何かを食べている所は見たことがない。

 

余りにも完璧で俳優然としていて、現実味がなく、

この人ははたして自分と同じ人間だろうか、と思ったものだ。

 

家族がおり、当たり前に普通の生活をしている人だとマネージャーに聞いたことがあるが、一時も崩れない横顔を見る限り、とてもとてもその姿は想像できなかった。

アイドルや女優がトイレに行くところを想像できないのと同じ感覚だ。

 

 

あれからもう20年以上の年月が経つ。

 

私は、そのレストランで、唯一の女性スタッフだった。

当時の私は余りにも子供で、バーテンダーのみならず、マネージャーも支配人も、父親のような感覚で接していた。

彼らにとっても、私は単なる「お手伝いの女の子スタッフ」でしかなかった。

 

でも、今思い起こせば、彼らに「大人いい女」になる教育を沢山受けていたように思う。20代の小娘には気づけないほど、なんとも豪華で、贅沢な環境だった。

 

サロンに食事に来る客層は、大抵外国人か、現地の裕福層だ。

女性たちは、そろって着飾ってくる。モデル並みの美女が多い。

サロンの男たちは、そういう「美女」達には慣れ切っている所があった。

 

それでも、給仕が「おっ!」とつい声を漏らし

支配人とバーテンが視線を上げ

マネージャーが対応に飛んで行くような特別なオーラを出す女性が、相手の男性にエスコートされて優雅に入ってくることが時折あった。

 

 

 

当時の彼らと、恐らく対等に話せる年代であるアラフォーの今。

 

バーにもたれ、リストレットとシガレットを味わう支配人と

にこりともせず、静謐に、淡々とマルティーニを作るバーテンダー

そして、プレイボーイな笑みを浮かべる、サロン・マネージャー

 

まるで少女漫画の登場人物のような、しかし確かに実在した、華麗な男達

 

その顔を、佇まいを、20年経った今でもはっきりと思い出すことが出来る。

 

さて...

果たして、今の私は、当時の彼らがリアクションを起こすような女性になれているだろうか。

 

今となっては想像上だけの話だが、

それが今でも私の目標であり、美意識向上に役立っている。

【性格】は変えられる

今日の一歩

性格や心の健康は、情報と習慣でいくらでも改善できると知ろう

 

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美しくあるためには、健全なマインドが不可欠だ。

 

外見を筋トレで磨くことも重要だけれど、

中身(マインド)が澱んでいると、瞳が濁る。

頭の中もデトックスさせて、良質なものを入れなくてはいけない。

 

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健全なマインド維持の為に、カウンセラーに通うのが珍しくない今日この頃。

家族や友人に負担をかけない為に、専門家・プロに頼るのはいいと思う。

 

ただ、私は時間的・金銭的に余裕がないし、カウンセラーとの相性ってものもある。

カウンセラーとて同じ人間、万人に向いているとは限らない。

 

身近に、とても優秀で、プロとしても友人としても心から尊敬しているカウンセラーが2,3人いる。

なので、カウンセリングが苦手なわけでは決してない。

 

でも、有難いことに、私にカウンセラーの必要はない。

なぜなら、あくまでも私の場合に限ったことだが、

自己啓発書やブログが、その代わりを果たしてくれているからだ。

 

私は、小学生の頃から、父親の書斎で自己啓発書や実用書を読むのが好きだった。

 

今は本当に良い時代だ。

気になる自己啓発書は、電子書籍で直ぐに読める。

自己啓発ブログはそれこそ無限にあるし、ほぼ全て無料で読める。

 

移動時間を利用して、お気に入りの自己啓発ブログを2,3か所毎日チェックするようにしている。特に、朝の出勤時間。

帰宅時の移動中は、新しいブログを開拓する。

これらのブログが、気持ちをリフレッシュし、新しい気づきをくれ、やる気を高めてくれる。

 

まるで、パーソナル・アドバイザー、カウンセラー、トレーナー、ヒーラーなどを一気につけたような感覚だ。

 

好きなブログや記事はじっくり読み、合わないと思うものは読まない。

 

私はクリスチャン(プロテスタント)なので、基本的に「人生の目的がわからない」系の深い悩みはないし、人間関係や経済的な悩みなどもそれなりにマネージ出来ている。

 

「宇宙の真理」とかを謳うスピリチュアル的なものには興味はないし

「いかに楽して周りを蹴散らして自分だけ一等になるか」などという虚しい成功論にもなびかない。

 

ただ、

「アラフォー以降もキレイで在り続けるには」

「やりたいことをして豊かに生きる働き方とは」

「仕事で失敗した時、どう立ち直るか」

など

 

超・具体的なテーマで効果的なヒントを求めて、

今日も自己啓発ブログを読む。

もう長年、少なくとも10年ぐらいは続けている習慣だ。

 

これだけ自己啓発オタクになると、悟ることがある。

 

世間には沢山の教材(?)が溢れているけれど

結局は皆、同じことを言っている、と。

 

その表現の仕方や、実証している分野が違うだけで、

成功する・上手くいく・効率の良いやり方、というのは本当に存在する。

 

どこも似通った当たり前のことを言っている自己啓発書やブログを

いつでもいつまでも訪問して読んでいるのが習慣になっている私みたいなのを

自己啓発ノマデ」等と呼んで、揶揄することもあるらしい。

 

でも、私は「別にいいじゃない?」と思う派だ。

 

私は、この手のブログを日常的に毎日「摂取(目を通す)」することは

筋トレや歯磨き、サプリや入浴と同じ、と見る。

 

即ち、人生で一回だけドーンとやれば良しでそれで終わり、ではなく、

毎日毎日、継続的に、習慣化させてこそ意味があるものと見る。

だんだん、その考えや行動パターンが「当たり前」になっていくから。

 

 

思考は言葉に出る

言葉は行動に出る

行動は習慣となり

習慣は積み重なって性格となる

 

 

そうなったらしめたもの。

私の存在と理想の境目がなくなり、いずれはこれが私の性格(特徴)となる。

 

 

私のこのブログには、他のブログや本から教わったことが沢山登場する。

自分の心に響いたものを、改めて咀嚼し、吸収し、実感し、また自分なりに発信するようにしている。

 

例え他の誰にも役に立たないとしても

自分の為に書き起こすことで、更に自分の中に深く浸透する気がするからだ。

 

筋肉系【ミニマリスト】

今日の一歩

モノ好きエコ、ミニマル・シンプル、ボディ主義...自分なりの軸で生きよう

 

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私の祖母は、戦後何もない時期に苦労したからか

その後日本が豊かになっても、物が捨てられない人だった。

 

というわけで、祖父母の家には、モノが溢れていた。

 

飾り棚には、日本人形、置物、陶器が飾られ、

壁には絵画、写真、刀、賞状などの掛物...

本棚には本がぎっしり。

冷蔵庫もクローゼットも、常にパンパン。

更には、使用後のヨーグルトの容器やお菓子の箱までもが大事に保管され

わざわざそのための小部屋のようなものもあったぐらいだ。

「何かの役に立つかもしれない」と。

 

その娘、即ち私の母は、その逆を行くミニマリストだ。

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私が生まれ育った家は、祖母の家とは対照的な、超シンプル・モダンな空間。

ラボラトリーのようなキッチンやバスルーム。

シーツやタオルや下着は必ず白。

清潔で、整理整頓が行き届いており、無駄が一切ない。

 

母は、あっけからんとしていて、モノへの執着心が皆無だ。

溜めない、買わない、持たない。

家には、いつも必要最低限のモノしかなかった。

 

食料品でも衣服でも、母はセールに踊らされた買いだめというものを絶対にしない。

 

「フランス人は10着しか服を持たない」という本があるが

それを昭和の日本で地でいく女が、うちの母だった(今でもそうだ)。

 

 

 

どちらが良いか悪いかではない。

好みの問題、生き方の問題、価値観の問題だ。

別にどちらでも、自分が気持ちよく納得して生きれるのであれば、それが正解。

 

私は、祖母と母の中間ぐらいだ。

母ほどのミニマリストではない。

下着もタオルも派手な色が好みだ(笑)

ただ、ごちゃごちゃとモノが溢れる空間は苦手、という程度。

(第一、掃除が大変!)

 

 

あわよくば

 

モノは素敵だけど、家は素敵だけど...と思われるより

 

モノなんかに目が行かない程、貴方が鮮やか

家はシンプルだけど、貴方という存在が何よりの飾り

 

って思われるのが理想だ。

 

「勿体ない」のエコ精神で、多くのモノにこだわった1代目(祖母)

ミニマリストで、合理化と洗練にこだわった2代目(母)

.......

3代目の私は、もはや空間よりも、自分そのものにこだわりたい。

 

【体】は常に、自分と一緒

今日の一歩

筋トレしよう!100%報われる

 

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キレイになりたい

自信を持ちたい

前向きに生きたい

...

 

そういう人には、何よりも筋トレをおすすめする。

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私は『筋トレ社長』さんのファンだ。

彼のモットー『人生の悩みは、筋トレで解決する』に、共感する。

 

 

私自身の人生でも、実践済みだ。

 

まず、筋トレは、愚直にやってれば全員にもれなく結果が出る。

あ、ちゃんとしたフォームでやること前提ね。下手するとケガします...

 

これ、『真面目でコツコツ』が得意な我々日本人には、ありがたい。

報われる感、が、たまらない。

 

今は、短時間で効果的に成果を出すコツやテクニックが研究しまくられていて、

しかもそれらの情報がお手軽に入る...

 

『真面目にコツコツ』は時代遅れの感に囚われる現在には、涙モノのありがたさだ。

幾ら時代が変わっても、不変かつ普遍の事実は存在する。

 

 

そして、もう一つ。

それは、私たちは、各々『自分(体)』とは、離れて生きることが出来ない、という

なんか哲学的な響きになってしまったけれど、超あたりまえ・簡単な事実だ。

 

筋トレで鍛えられたカッコいい体は、絶対にいつも自分と一緒、ということ。

 

ということは、

知性・教養や(大事だけど)服や車やモノや連れ人や所属先にこだわらなくても

『あなた』という存在(見た目ね)そのものが筋トレで改良されると

 

何もしなくても、何もなくても、一人でも

キレイに、または、カッコよくなれるのだ。

なんたる効率の良さ!

 

もうバスに乗ろうが病気であろうが納豆食べようが(笑)

白シャツにジーンズ、スニーカーでノーメイクでも

または、寝起きのぼさぼさ髪の姿でも

 

周りの人にはキレイだと思われ

自分でも『自分、いい感じ』と思える

これ、凄くない?

 

 

必死に勉強をして教養を身に付け(大事なことですがね)

沢山の資格をとり

誰もが羨む一流企業で高給取り

 

エレガントにオシャレをして

カッコいい車に乗り

スペックの高い人をパートナーにして

 

可愛らしい子宝にも恵まれ、などという人がいたとする

 

外見(体)を磨かなくても

自信やカッコよさ、というのは、

こんな感じで経済的・精神的な成長からも大いに得られる

 

だけど

 

内面・知識の向上は、残念ながら、外からは見えにくい(自分には、もっと見えない)

資格や会社での活躍は、他の人から見ればなんてことないものかもしれないし

第一、得られるのには相当の努力と犠牲が必須。

 

シックな服も、プールや温泉に入るには、脱がなくてはいけない

どんなにカッコいい車で乗り付けても、レストランに入るときは、車から降りる。

 

住んでいる家がどんなに豪華でも、家から出れば、他人の目に映るのは自分のみだ。

まして、パートナーや家族は、他の人間。

一人になれば、あなたはあなた。

 

それに加えて、筋トレは簡単・確実。

やった報酬は全て自分に来るし、

他人も自分も、その進歩に否応なく気づく。

 

認められる。

それが、紛れもない自信となる。

そして、その自信が、鍛えられた体に、一層の輝きを与える。

 

これを経験すると、人は変わる。

人生は本当に前向きに進めることが出来るのだ、と信じられるようになる。

 

筋トレは、正義だ(by 筋トレ社長様)

 

私は外国に住んで長くなるが(20年以上)

日本の外にいると、冷静に、我々『日本人』について観察が出来る。

 

私の感想... 

 

日本人は、外見的にもっとキレイになれるし、なるべきだと思う。

 

内面やモノの充実も素晴らしいけれど、

日本人は平均的に、それらはもうかなりクリアしているから。

 

じゃ、あんたはさぞかしおキレイなんでしょうね?と言われると、苦笑いですが(笑)

異国の地で、日本人代表として見苦しくないよう、最善の努力をしています。

 

で、筋トレを欠かさないカラダには、静かな自信があります。

他人を見下したり他人と比べたりするのではない、自分だけの根拠ない充実感。

 

本当に謙虚な気持ちで、外見のことや気持ちの持ち方でストレスを抱え、悩み苦しんでいる日本人に

何か気づきを与えることが出来たら、と思っています。

 

 

バーチャルの世界の自分をカッコよくすることに専念しても

ご飯を食べ、買い物に出る時に使う体は自分のものだ。

 

自分に付きまとい、絶対に離れられないのだったら、こっちをどうにか良くしたほうが絶対に効率がいい。

 

生身の自分が少しでもよくなると、リア充どころではない、人生が激変する。

断言する。

 

今後、日本人に筋トレ文化を浸透させる啓蒙活動に関わっていきたいなあ、と思う今日この頃でした。