アラフォー国際結婚ワ―ママの「清く、強く、美しく!」

小手先テクには興味なし!筋トレと良い習慣の取り入れからなる 「清く、強く、美しい」 大人の女性化計画進行中~!

圧倒的に、キレイになる

ちまちました、アレンジされたキレイには、正直いって興味がない。

他人様のことではなく、自分が目指す方向性の話。

 

ちまちま=小手先テク、だ。

 

かわいらしい外見とは余り縁がない女、それが私だ。

子供の頃から、色黒、大柄、筋肉質だった。

なので、その当時から30歳ぐらいまでは、どうすれば俗に言うキレイな女になれるのかを、必死で研究したものだ。

 

雑誌やら美容院やらで「ナチュラルメイク」(すごい矛盾 笑)を学んだり

ヘアをカッコよく見せる為のジェルやらヘアカラーやらを色々試したり

着こなしやらネイルやらジュエリーやらに凝ったこともある。

バッグと靴は色ごとに集めて、もはやコレクション化していた(皆安物)。

 

眉毛をキレイに書くために、眉毛を半分剃っていたこともある。

兄が、「ほんと、化粧って化けるためだよなあ」とつぶやいていた。

 

そんなわけだから、いわゆる「モテ子」になるためのテクも、かなり知っている。

「男は揺れるものに目が行くから、揺れるイヤリングをつけると効果的」

「なんだかんだいって、スカートは王道」

パステルカラーやピンクは女を可愛く見せる」

なんてね。

 

それらは大概上手くいったけど

でも、いつも自分の中で「なんか違う」と思っていた。

上手くいくことと、自分が納得することは別モノだと学んだのも、そこからだ。

方向性が間違っていれば、成功も成功ではなくなる。

 

違和感がいつもあった。

それなりにこじんまり可愛く(?)着こなせたりして、褒めていただいたりして

でも、なぜか心から喜べず、しっくりしない感じがぬぐえなかった。

「自分が心から目指したいものは、これではない」ということは、どこかでわかっていた。

自信がありそうでいて、実は大してなかったのだろう。

だからこそ、「キレイになりたい」と思い続けてきたのだ。

 

徐々に、そういう小手先テクを使うことが少なくなってきた。飽きたのだ。

結婚して子供が生まれたら生活が一変して、経済的・精神的にそれどころではなくなった、というのも大いにある。

 

そしてついに、ここへ来て、つきものが落ちたように、

そういう小手先テクには一切興味がなくなった。

 

いや、今でもキレイな服やバッグや靴や、その類のものは好きだ。

綺麗なモノ、オシャレなモノ、スタイリッシュなモノに惹かれるのは、以前と変わらない。

そういうアイテムを使いこなす、キレイな人達も相変わらず好きだ。

 

ただ、それらはもはや飾るための花とか、美術館の絵と同じレベルになった。

自分で所有してそれで自分をキレイにみせようとか、「じゃ、私も」とか思わない。

 

きっかけは勿論、筋トレだ。

もうこのブログにはうざいほど書いているけれど

筋トレへの情熱が上昇するのに反比例して、私の小手先テクへの情熱は下がっている。

私は昔から、もともと筋肉やら強そうな人やらに(多大な)興味はあったのだ。

でも、少女やティーンエイジャー、華の20代の女性が好きなものではないような気がして、なんとなく恥ずかしく思い、世間には余り言わずにいた。

 

それが、40を過ぎて、開き直ってきた(それがおばさん化というものかも 笑)

「好きなものは好きだ。いや、それなしではいられない」と公言している。

小手先テクへの興味は、下がるどころか、本音はもはや「どーでもいい」に成り下がった。

そして、それと共に、私の満足感や幸福感も地味に上昇している。

 

今の私のおしゃれ(外見)の基準は、ボディそのものだ。

いかにカッコよい筋肉を付けるか

いかに引き締め、女としてカーブを出すか

背中の線をハッキリ出せるか

もうそういうマニアックなことにしか興味がいかなくなってしまった(笑)

 

なぜ美術館や博物館の作品の多くは、裸の人がモデルになっているのか(ダビデ像とかね)。

それはきっと、筋肉やらカーブやらが美しいから!

 

美容法もそうだ。

最近では、肌のお手入れはニベアの青缶のみとなってしまった。

数か月前までは化粧水も使っていたが、それもなくても変わらないことに気づいたので

今は使っていない。

肌だけではない。ヘアケアにもニベア

化粧なんて、お湯で落ちるマスカラのみ。

前は小さいピアスをしていたのに、最近はそれも余計な気がして、していない。

 

うーん...これは大人の女性のあるべき姿としてやばいかも?と思わないでもないが

いやまてよ、「あるべき姿」なんて、そもそも世間の評価、

それを目指したら、それこそ「世間並みの」キレイで終わる、と思い直す。

世間一般は、圧倒的とは対極。

大体、何十年もの間世間一般を目指してきたけれど、結局納得できなかったのだ。

じゃ、真逆を目指すしかないでしょ、自分。

 

こういう世間とは違った私なりのキレイを目指すにあたり、

「自分らしい」じゃ抽象的な弱い感じがして、

もっと明確に形容できる言葉が欲しいなあ、と思っていたら、

ある方のブログで、ずばり「こう言われたい」としっくりする言葉を見つけて感動した。

 

それは、「野性的な美しさ」だ。

 

キャンプに行くと、都会的な上辺のオシャレは一切出来ないが

そこでも色あせない人。

加齢とともに、女度や肉体的な強さを保つのは困難になるが

幾つになろうと強い女らしさがある人。

人生の苦境は誰にでも訪れるが、

どんな状況であろうが不変なキレイさを保てる人。

 

そういう女になりたいと思う。

 

「このアイテムがないと、私の美しさは作れない」

「この状況にいないと、私が美しく見えない」

そういう女は卒業だ。

 

2019年は、さらに野性的な美を極めることにして、

先週から、ついにネイルもやめた(手抜き、ともいう 笑)

 

野性的とは、ぼさぼさ頭で、身の振り構わず、だらしない恰好をした女ではない。

チータのような、存在そのものでキレイでいられる女だ。

 

これは、手抜きどころではない。

とんでもない。

モノを買ってコーデして、などをするほうが100倍も簡単だ。

 

 

圧倒的に、キレイになる。

これは、これから何十年も目指して身に付けたい、私の大人の楽しみだ。