当たり障りのない話題
学生の頃、登下校中などのお喋りの時など、女子が2,3人集まると、流行っているドラマの話ばかりするのにうんざりしたものだ。
そういう私も、ドラマの1つや2つは見ていたので(90年代に流行ったトレンディードラマ、というやつね 笑)適当に話を合わせていたけれど、
そんなことより、政治とか社会問題とか、そういう人生における本質的な話題で語り合いたいなあ、などと内心考えていた。
変なところで真面目な学生だったのだ。
可愛いもの、美味しいもの、ドラマ...といった、当たり障りのない話題のお喋りは、正直、苦手だった。
時間のムダ、意識のムダ...と、一人で勝手にイライラしていた。
どこかで、アメリカのティーンエイジャーは仲間内でも自然に政治の話をする、等というエピソードを聞いて、「さすがアメリカ、意識が高いなあ」と思っていた。
逆に、日本はお子様文化だなあ、ダメだなあ、と感じていた。
さて、その後、ふとしたことから日本を出て、海外に移住した私。
今は、日本や日本人とは関連性のない、外資系の企業に勤めている。
様々な国籍の同僚が集まるこの職場での、ランチタイムの話題は、何か?
...ズバリ、流行っているドラマ、だ(笑)
(勿論、それだけではないけれど)
政治や社会問題が話題になることもあるけれど、ごくわずかだ。
なぜかというと、これをすると、意見の対立が避けられないからだ。
例え、大人同士、妥協をしながら思いやりを持って話すことが出来るとしても、
必ず誰かしらが嫌な思いをしたり、気まずい雰囲気になるだろう。
前職で、選挙の時期にかなり辛辣な発言をした同僚をきっかけに、
同僚同士での言い争いがエスカレートした場面に出くわしたので、今は良くわかる。
モノ(商品)、美味しかった食べ物、ドラマ...どんな意見を言っても、当たり障りのない話題といえば、結局これらになる。
これは、世界共通だ。
私は、上記の学生時代のエピソードを思い出し、感慨深い気持ちになった。
勿論、政治や社会問題に意識を向けることは大事。
意見交換も、当事者意識も、社会に属するものとして、避けてはいけない義務だろう。
そして、年がら年中ドラマやら可愛いものやらの話をするのは、やはり時間の浪費だ。
しかし
「当たり障りのない話題」というのは、案外周りを思いやった結果なのかもしれない。
人生、一見ムダと思えることが、実はそうではないこともある。
表面だけ見てすぐに「良い・悪い」を決めつけるものではないな、と思った。