【世間の評価】=どうでもいい
今日の一歩
「他人は私の人生に無責任」と自覚しよう
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今から20年ほど前...
私が日本人であると分かると、この国の人は、こんなことを言ったものだ。
「日本人って、生魚を食べて、いつも写真を撮ってて、大勢で自転車で移動するんでしょ?」
この国は、世界的に見てとてもマイナーであり、日本との接点は、ほぼない。
良いも悪いも、国民は日本を良く知らない。
ゆえに、日本人に対する差別感情もない。
上記コメントは、悪気がなく述べられたものだ。
当時はインターネットがない時代。
日本に関する情報なんて、皆無に近い。
魚や写真は仕方がない。だって、本当の事だ。
生魚、と言われるとなんかグロテスクだけど、お刺身は確かに皆良く食べる。
そして、確かに日本人は、旅先の外国で写真を撮っていた。
自転車に関するコメントは、ちょっと謎だけど
恐らく、中国やベトナムなどで大勢の人たちが一塊になって自転車で移動するイメージと日本がごちゃまぜになっているのだろう。
それにしても、これを言われる度に、私は内心あまり面白くなかった。
悪気はなくとも、「あなたたちって、変」という響きは隠せず
「日本人=ダサい」的ニュアンスは拭えなかったからだ。
全く悪いことなどしていないのに、何か引け目のようなものを感じていた。
職場でおにぎりを食べたり、カメラを持って出かけるのがためらわれた。
そして、月日は経ち...
インターネットが登場し、外国人観光客が増え、
この国にもグローバリゼーションの波が押し寄せる。
保守的な国民は、外国で流行っている新しい食材に目を向けるようになる。
ダイエットやらジムやら健康食品について人々が関心を持ち始めたのも、この頃。
カロリー控えめで油分が少なく、健康にいい和食は注目を浴び、一気にブームになった。
お寿司という遠い異国の料理を、これまたお箸という棒を使って食べる...
このいかにもエキゾチックなところが、最先端でファッショナブルと捉えられ、
「Sushiとシャンパン」は、今やオシャレな外食メニューNo.1として定着した。
そして、写真。
スマホの登場と共に、老若男女問わず、誰でもいつでもどこでも写真を撮るようになった。
少数民族の部族も、スラムの人達も、スマホだけは持っているこの不思議。
写真を投稿したり見たりする場所も増え、
もはやこの国の人は、写真なしでは生きられないだろう。
そして、自転車。
いつの間にやら、エコでフィットネスにもなる乗り物として、都会で頻繁に用いられるようになった。
これも、環境を考慮する現代社会の流れだろう。
政府は街のあちらこちらに自転車用の道路を作り、一定数の自転車を無料で貸し出す程になったし、自分で自転車を買う人も圧倒的に増え、かつてない程、自転車屋の商売は繁盛している。
スタイリッシュな自転車に、これまた有名どころのウェアとお揃いのヘルメット。
週末、川沿い等をサイクリングするオシャレな若者たちが増えた。
私は、しみじみ思う。
人の意見、世間の評価、流行り、ある特定の時代・土地に受け入れられるかどうかなどは、本当に取るに足らないことだ。
時間が過ぎて振り返れば、それらは絶対に変わっている。
それらをあなたの軸にしてはいけない。
「生魚を食べて、写真を撮って、自転車を使う」
たった20年前には、「変なの!」だったアイテムが、今は「カッコいい」の代名詞。
あの頃の日本人は、流行の最先端にいたのだよ!
この国の皆さんよ!(笑)
それらが受け入れられた今、もはや「日本人は20年前から生魚を食べて、写真を撮って、自転車を使っていた」とわざわざ考える人はいない(私ぐらいだ)。
だからね
自分が好きでやっていること、自分が納得してやっていることなどに関して
例えまわりから「変わってる」と言われようが
例え他人の評価が得られなくとも
変な引け目を感じる必要は全くない。
あなたは、次世代の流行の最先端にいるかもしれないのだ。
堂々とやるべき。
後に時代が貴方に追いついたとき、貴方は理解される。
子持ちでアラフォーの私が本気で筋トレにハマっているというと、10人に9人は驚く。
褒めていただくこともあるが、内心引いてるな、というのは
話していてなんとなく感じ取れる。
しかし、私はもう引け目はこれっぽっちも感じない。
ふふふ...
今は時代の流れは速いから、20年もいらないだろう。
3~5年もすれば、筋トレはもはやアラフォー女性には常識になるかもしれない。
鏡の前で筋肉チェックをする私の隣を、小学生の息子が通り過ぎる。
筋トレしてるお母さんを持つクラスメートなんていないよ!と言われたことがあるけれど
「そういえば、うちのお袋は、筋トレが常識になる前からやってたな」と
息子は将来大きくなった時に、今の私を思い出して、そんな風に思うかな?
これからどう時代が変わっていくのか、とても楽しみな今日この頃である。