【正論】よりも、人を動かすもの
私たちは、特に女は、正論をいうのに長けている
他人の主張を論破するぐらい、実はお手の物だろう
【家事を手伝うよ】という夫には
【手伝う、っていう表現からして、そもそも主体性がない】とピシャリ
【締め切りはxxと言ってたじゃないですか】というビジネス相手には
【xx(日付)のこのメールに、注意書き入れましたよね?お見せしましょうか?】
【最近、ベジタリアンになったの】という女友達にも
【ベジタリアンってヘルシーに聞こえるけど、タンパク質不足になるから気を付けたほうがいいよ】などと言ってしまう
特にもう若くない女となると(←私)
それに付け加え、母性やら、年の功やらも加わって
【ああ、それはこう】と、ハッキリ言いたくなることが多い
そしてそれは、かなりの確率で、正論なのだ
でも、私はここ数年で学んだ
正論であろうがなかろうが、言葉は、言い足りないぐらいのほうがいい
人は、正論を聞いたからって、考えを変えはしないし
(弁護士やコンサルなど、仕事は別として)
第一、その正論を言う事で、何が残る?
男性の場合、正論ばかりでドヤ顔の女など、どんなに仕事ができようがごめんだろう
夫は、上のコメントを言われたら、二度と手伝うもんか!となる
女友達も、相手も同じ女なので【そんなことは解ってる】となり、あなたと話していてもつまらないと感じるだろう
育児書を読んでいたら
【子どもにどう話すか?よりも、どう感じさせるか?を念頭に会話せよ】とあった
まさにこれ
いかに合理的発想や技術が近代社会で発達しようが
やはり、人間は感情で動く
その言い分(正論)に、愛はあるか?
相手はそれを聞くことで、どういう気持ちになるだろう
それを言うことで、自分が欲しい結果は得られるのだろうか
【家事を手伝うよ】という夫には
【ありがとう!助かる】
【締め切りはxxと言ってたじゃないですか】というビジネス相手には
【ああ、もしかしたら、口頭ではそうお伝えしてしまったかもしれません。ですが、確認メールも恐らくお送りしたと思うんですよね。今確認してみますね...】(長い 笑)
【最近、ベジタリアンになったの】という女友達にも
【へえ~!ハリウッド俳優にも多いんだってね。キッカケは何なの?】
慣れないうちは、話し足りなさが残るだろう
主張したいし、自分に知識があることを見せたいし、相手の非を認めさせたい
でも、それをぐっと我慢してみる
すると、わかるはずだ
気持ちを害されることがない安堵感から【あなたと話すのは楽しい】となる
相手は感心し、結果は自然と良いものになる
これが出来る人は、世の中にほんとうに少ない
なので、できる人は重宝される
そういえば、私の父は、退職前は人の前で話して教える仕事をしていたが
父の話はいつもどこか抜けていてツッコミどころ満載で
場は面白おかしく盛り上がるのだが、子供心には【よくこれで仕事として成り立つなあ】と思っていたものだ
今思えば、父は知ってか知らずか、この法則を応用していたのだろう
自分が正論を言って相手をやり込めてしまったら、その時点で会話終了だ
下手すれば、関係も終了かもしれない
父は常に、優秀な人に慕われ、囲まれ
あんないい加減な父なのに(笑)、結果としてチームとしては大きな成果を出していた
結果は、自分が正論をもって相手を訂正させるから得られるのではなく
気持ちを動かされた相手が、自ら望んで持ってくるものだ