時が良くても悪くても
「時が良くても悪くても、すべきことを淡々とする」
これがどれだけ難しいか。
知識として頭で納得するだけと、実際に実行できるのは、全く別の次元の話。
私の場合は、これが曲がりなりにもなんとか出来るようになったのは、親になってから。
選択肢がなく、やるしかなかったから。
子供がいない頃は、準備が完璧に整っていないと動かない人間だった自分。
で、何かをする時には完璧にやりこなさないと、満足できなかった。
感情や体調や状況に振り回されて、気が向かない時にはやるべきことは放っておいて、お酒を飲んでふて寝したり、馬鹿食いしたり、落ち込んでうだうだしたりしたこともあった。
万全なコンディションじゃなきゃ嫌で、常に100%キレイに何かをこなしたい、とこだわっていたその昔は、精神的に子供だったなあ、としみじみ思う。
勿論100%やりたいけれど、状況的に80%ぐらいで我慢しなくてはいけない時、または、最悪の状況でも50%狙わなくてはいけない時...人は一皮むける。
別にキッカケは子育てである必要はないけれど、
こういう大変な思いをしながら、人は少しずつ大人になるのだと思う。
前述の通り、自分の思うままに生きてきた私も、子供という責任が出来たら最後、そんな優雅なことは言ってられなくなった。
赤ん坊と幼児は、過酷な課題を「え?今?」っていうタイミングで、容赦なく課してくる。
予定通りに物事が進むことは殆どない。
ベストタイミングなんて待ってたら、何も出来ないのでやるしかない。
また、どんなに「最悪なタイミング」でも、やらないという選択肢はない。
どんなに疲れていても、職場で何かあって悩んでいてブルーでも、
おむつを替え、授乳をして、寝かしつけて、泣いたら抱っこして...
ちょっと大きくなって手がかからなくなっても、ご飯は絶対に作らなくてはいけないし。
鍛えられたなあ...いや、まだ現在進行形なんだけどね。
子育ての日常の大変さに比べたら、部活の地獄の特訓なんて、軽いものだ。
(学生時代、全国大会に出場するような強豪チームで本格的に運動をしていました)
さて、これを書きながら、仕事(と筋トレ)で疲れた体にムチ打って、
猛スピードで夕飯の買い物をし、
子供と旦那が散らかしたリビングとベッドルームを片付け、
子供をお風呂に入れて、
洗濯機をまわし、
夕ご飯を作ったのに...
日中動きまくった子供は疲れていたらしく、ソファーで熟睡。
疲れたしお腹はすくし、先に食べてさっさと寝てしまいたいけれど、
何とか我慢して旦那の帰宅を待っていたら、
遅く帰ってきた旦那は機嫌が悪く、
しかも「体調悪いからもう寝る、夕飯いらん」だってさ。
誰も手を付けていない夕食テーブルを片付ける。
台所には片づけが残っている。
洗濯物も干さなきゃ...
ふー、辛い。
疲れた...
報われない...
何で私だけ?
今日全然いいことなかったじゃん...こんな辛い毎日、ずっと続くのかなあ?
どんどん思考がネガティブになっていく。
フラストレーションが半端ない。
汚れた調理器具、自室に連れて行かなきゃいけない子供...その他、やらなきゃいけないことが山積み...めんどくさい、やりたくない...
でも!
ここは修行だと思って、えいや!と踏ん張る。
ネガティブ思考を、「いやいやいや、そうじゃないって」と戒める。
がんばれ、自分!
ばーっと残りの家事をこなしてしまう。
もう寝よう!
明日は明日の風が吹く...
こうして、こういうなんでもない、でもきちんと辛いステップを一つ一つ乗り越えて、
恐らく人は成熟していくのだと信じて疑わない。
筋トレと同じで、メンタルも適度な荷重を与えていくことによって強くなるのだ。
「時が良くても悪くても、すべきことを淡々とする」
筋トレは、継続して淡々とやるもの。
一気にマッチョになる人はいない。
大人になる近道なんて、ない。
成熟に至る楽な道なんて、恐らくない。
成熟といえば、果物もワインも、熟れてたほうが断然美味しい。
どうせなら、うんと美味しい熟女目指してやろうじゃないの!