【キャンプ】でも、崩れない美
今日の一歩
モノやシチュエーションを問わない美を目指そう
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連休を利用して、家族でキャンプに行ってきた。
私はかつて、キャンプやアウトドアが苦手だった。
ジャズがかかる空間、オシャレな大人が行きかう、高級ホテルのレストランやバー...
そういう場所がかつての職場であり、また、私が何よりも好む世界だった。
その対極にあるものがキャンプだと思い、自分とは縁のないものだと思っていた。
キャンプでは、入浴もままならない。
お肌の手入れやらお化粧やらには、快適なバスルームが不可欠なのに、それがない。
虫もいるし、ヒールを脱いでスニーカーでいなきゃいけないし、オシャレとは程遠い。
キャンプとは、いつも綺麗でいたい女性が行くところではない、と思っていた。
キャンプは余り好きではないという事実は、実は今でも変わらない。
ただ、180度変わったものがある。
私の、見方・在り方だ。
私の旦那は、堅実で、無駄な出費は一切したくないタイプの人間だ。
たまの休みに出かけるとしたら、高いホテルの宿泊代を払うより、経済的に、かつ非日常を楽しみたい、と常に言う。
また、キャンプを張ったり、自然の中でバーベキューをしたりする為の、膨大な準備や後片付けのもろもろを、面倒くさがるということをしない。
何もかも全部彼がやってくれるので、じゃあそれならいいか、と、
かくして、彼と一緒になってからは、常にという訳ではないけれど
キャンプやアウトドアにちょくちょく出るようになった。
日本のバブル期の恩恵にあずかり、(当時の日本の平均的な)贅沢を楽しんできた20代の私。
周りもそうだったし、雑誌の特集でもそうだし、という感じで、ブランド物の基礎化粧品やらなにやら、お手入れ用品を使用するのがその当時の日課だった。
逆に、それがないと、外行きの自分が作れないので、大変だった。
ゆえに、キャンプで1泊するだけでも、シャンプー、リンス、トリートメント、洗顔ジェル、石鹸、乳液、クリーム、保湿クリーム、目元クリーム......などなど、スーツケース1つほどの大袈裟な身の回り品を持って行き、当時は彼氏だった旦那にあきられたものだ。
それが、筋トレをするようになり、小手先テクではないオシャレや本質をついたキレイを追求していく中で、「キレイであるとはどういうことか」に対する自分の概念が出来上がるにつれて、持ち物や考え方が変わっていったのだ。
筋トレをすると、まず服や装飾品より、体そのものがなによりの見世物(かざり)となる。
だから、オシャレな服やら靴やらアクセがいらなくなる。
また、健康志向になるので、食生活が変わり、肌の調子が良くなる。
そうすると、下手にお化粧でごまかさなくても、マスカラ1つでも塗れば、生き生きした印象になる。そうなると、クリームやらなんやらも、必要なくなる。
つまり、モノに頼らなくてもOKな自分になれるのだ。
キャンプではお化粧はないので、
基本的に、夜寝る前の洗顔は無用だ。
日中日焼け止めをたっぷり塗ったので、シャワーを浴びる、というときも
シャンプー&リンス、石鹸、ニベアの青缶だけで済む。
いつの間にか、石鹸で顔を洗っても大丈夫な肌になったからだ。
昔は、「敏感肌」だと信じて疑わず
高いブランド物の洗顔フォームを使用していた。
ニベアの青缶は、髪にも顔にも体にも、リップにも使用する。
それでも、20代の頃より断然今の肌のほうが調子がいい。
無駄な肉がなく、筋肉があり、健康的な肌
体にフィットした上質なシャツとジーンズ、粋なスニーカーと
カッコいいトレーナー
これだけで、というか、これさえあれば、
クリームを5つ塗らなくても、お化粧しなくても、
ごてごてした飾りがなくても、とてもスタイリッシュにキレイになれる。
これに気づいてからというもの、
キャンプというものへの私の印象は、全く違うものになった。
日々の都会の生活の中で、化粧品やら装飾品やらの数がいつの間にか増えていく中
時々キャンプに出て、粗食(?)とシンプルライフで、心も体も余分なものをそぎ落とすようにするのが、最近は結構楽しみになってきている。
細部の美より、【パッと見キレイ】
今日の一歩
ちょっと離れた所から見た自分の全体像がキレイか、確認しよう
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美のカリスマ氏のブログに、「人の目に美しく映りたかったら、細部よりも全体像に注意すべき」とあった。
その通り!
日本人は、細部に敏感。
ネイルアート、趣味の良いアクセサリー、完璧なメイク。
同胞として大変誇りに思う。
でも、悲しいかな、そんなにセンスがいいのに
道端で、見惚れてしまう程インパクトを与えてくれる日本人女性に会えることは、余りない。
大体、ネイルアートも綺麗な眉毛も、相当接近しないと見えないし。
よく、男性受けが良いネイルアートとかを話題にしているサイトを見るけれど
そんなものどうでもいいと思ってる男性が、実際は大半だと思う。
キレイに施したネイルなんかより、胸とお尻が程よくあって、痩せでもおデブでもない体、長い髪、にこやかな笑顔、なんかの王道のほうが、男性受けはいいに決まってる。
女性誌の「男性はこんな女性が好きです!」みたいなランキングには、そんなコメントは出ないとしても(笑)
その本題をすり抜けて、細部ばかりを気にしても(キレイに見える、という目的の前には)意味がない、ということだ。
全体像というと、ボディーラインを崩さないこともそうだけど、服やバッグ、靴などのコーディネートも欠かせない。
このことを考えさせられる人に、今日帰宅時に会った。
ダウンタウンの、オフィス街。駅に向かう道。
男性も女性も40半ば風の、大人のカップルが、帰宅途中の私の前を歩いていた。
いかにもやり手な感じの、カッコいい中年の男性はスーツ姿。完璧。
さて、問題は連れの女性。
彼女も、キャリアウーマン風の、シックな色のタイトスカートのスーツで決めている。
金髪で、痩せても太ってもいない、長身の彼女。
男性の腕を組み、嬉しそうに話しかける。
「大人のエレガントなカップル」になれそうな二人。
が、それを台無しにする、非常に残念な女性のアイテムが私の目を引いた。
彼女が背中に背負った、ピンクやら黄色やらがゴタゴタ混ざった色の、安っぽいリュックサックだ。
なぜにリュック?
いや、仕事の合間にジムに行ったのであろう事情は、わかる。
それは良しとする(私も行くし)。
でも、ティーンエイジャーが使うようなチャラいリュックは、私達の年齢の女がスーツで決めている時、特に、男性と二人きりで歩くときは、ダメ絶対!
ここはシックなスポーツバッグか、小娘では買えない・使いこなせない、って感じの、上質なリュックにしてほしかった...
で、重いだろうけど
両腕を入れて、ランドセルみたいに背負っちゃ、もうキレイも色気もへったくれもない。そこだけ、小学生の遠足だ。
私は彼らの1.5メートルぐらい後ろを歩いていたけれど
ハッキリ言って、そのリュックさえなければ、彼女はかなりいい女の類に見えただろう。
彼女のお化粧の濃さとか、アクセサリーとか、そんなものは1mも離れればもはや見えない。それよりなにより、そのリュックのせいで、彼女の全体像は台無しだった。
私は40を過ぎてから、潔く、20代の頃から使ってきている安物のバッグやいかにもギャルっぽい服、好きだけど崩して古くなった靴などは、処分することにした。
気持ちは若いとはいえ(笑)、肌の艶や体のラインや雰囲気が20代の頃とは全然違う今、それらのものを見に着けていると、やはり何かがおかしいのだ。
ここで絶対に意味を取り違えてはいけないのは、地味になる必要はないってこと。
シンプル・イズ・ベストにならないことだ。
ここを間違えて解釈すると、ハデなおばさん化は避けられても、乾涸びて性別も解らない、カサカサなおじいさん化してしまう。
何が似合うか似合わないか...
ネットでも本でもいいから研究したり、プロの定員さんに助言を求めたりして
鏡の前であれこれ試してみるといいと思う。
私が個人的に嬉しいのは、小娘時代に背伸びしてると見られたことが、今なら逆に、粋に、サマになることだ。
例えば、ジーンズに赤いハイヒール、赤いネイル。
例えば、日焼けした肌に(私は自黒ですが 笑)金髪に近い髪(上品にお手入れされていることが必須)と金のアクセサリー。
ブランド物の、皮のバッグ。
誰でも、40過ぎれば、苦労の一つや二つはしてきている。
経験豊富なアラフォーの顔や雰囲気は、これらのアイテムの重さにもはや負けない。
アラフォーの皆さん...嘆いている場合ではないです。
これからは、マダムっぽいゴージャス&シックなオシャレにも、大いに挑戦できる歳。
マダムっぽくしても、どっぷりマダムになるには、40代の肌はまだまだ若い。
そのギャップが、とてもいい塩梅なのが今の時期じゃないかな?
楽しまなければ損!
【松竹梅千秋】という女(有閑倶楽部)
今日の一歩
「清く、強く、美しい」アラフォーになろう
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有閑倶楽部、の原作漫画が好きだ。
アラフォーの私は、『月刊りぼん』でリアルタイムで見た年代
コミックも、全巻揃えていた友人宅で、何度も繰り返し読んだ。
少女漫画「有閑倶楽部」が何年か前にドラマ化されて、反響を呼んだニュースをネットで見たけれど、別に見ようとは思わなかった。
ドラマ化が嫌いなわけではないけれど、
私の中の「有閑倶楽部の世界」が壊されるのが嫌なのだ。
あの世界は、一条ゆかり先生の画風でもってこそ奏でられる、と思っている。
有閑倶楽部は、当時大好きだった漫画だ。
あの頃小学生(?)だった自分は、余り深く考えずに、ただ単にストーリーを楽しんでいたかな、と思う。
でも、アラフォーで母となった今は、有閑倶楽部メンバー6人の親たちに興味が行く。
昔から好きで憧れてて、
今読み返してみてもやっぱり魅了されるのは、
ドラマ版では主人公となっている、松竹梅魅録の母、千秋さんだ。
☝千秋さんのイメージ(笑)
以下、Wikipediaより
松竹梅 千秋(しょうちくばい ちあき)魅録の母。
性格も容姿も若々しく、旦那の時宗も「時宗ちゃん」と呼んでいる。実の息子である魅録にも「千秋さん」と呼ばせているが年齢は「若く見えるが40歳はとうに過ぎてる」との事。元華族・和貴泉(わきいずみ)家令嬢。「和貴泉倶楽部」という海外リゾート開発事業に携わっており、そのため海外で過ごす事が多く、日本に滞在しているのは稀である。時宗からは初対面時売春婦と勘違いされた。その後、自分に一目惚れした時宗にストーキングされている内に気に入ったようでプロポーズを受ける。お互いに「ちゃん付けで呼ぶ」ようにし、誕生日には、抱えきれないほどの花束を持って逢いに来ないと離婚すると時宗に言っているが、ただし誕生日の終わる一分前に来てもセーフでありそれで離婚を免れたことがある、またその時は本物の花ではなくケーキのデコレーションが花束になっていたためOKを出している。なお魅録の性格は彼女からの影響が強い。ちなみに魅録が女装したところ彼女に似ていたことで軽くショックを受けていた。万作は彼女のことを百合子とは違うベクトルで怖い人と称している。
この中の、「性格も容姿も若々しく」「若く見えるが、40歳はとうに過ぎている」が、彼女を語る上では欠かせない要素だ。
この漫画が出た1980年代当時は、まだこういう女性は珍しかっただろう。
子供のいる40代は完璧中年、エプロン付けたお母さん、が普通だったし。
私自身の母親は、世間一般の母親とはまたかなり違った部類の女だったけど
妻・母ではあっても、「幾つになっても女として現役」という千秋さんタイプではなかった。
千秋さんタイプとは
女・妻・母の三位一体(笑)
既婚で子有のアラフォー...なのに、「女」としての個の美しさがまず際立つタイプだ
昭和・平成初期時代、私の周りにはいなかったタイプの中年女
それだけに、憧れて、
目標とする女性の(イメージや生き方、心意気、と言う意味で)の一人になってきた。
特に結婚し、子供が生まれてからは
道を外さずに(不倫や育児放棄に走らずに)いかに所帯じみず、いかに魅力的で魅惑的な女でい続けるかを考えるにあたり、何度も頭に浮かぶのが彼女。
この千秋さんから、アラフォー妻&ママが具体的に学べる要素を具体的に紹介する↓
1.まずは自分(自分の人生において、やることがある)
2.幾つになっても、女である(容姿維持のための努力を怠らない。はい、基本ですね)
3. 子供にうるさくしない(でも、必要な時にはいる)
4.旦那にも干渉しない(でも、お互いアツアツ)
5.余裕がある。自分で何もかも背負い込まない。自分が不得意・やらなくても済むことは、他人に任せる(お手伝いさん・乳母さんがいる)。その代わり、自分は自分のやるべき責任を果たす(千秋さんの場合は、ビジネス)
どう?
見た目は、エプロン付けてお料理上手で良妻賢母、でも、
いつもせかせか、バタバタで
旦那や子供にガミガミ、うんざりで、
なんで自分の人生こんななんだろ、と不満ばっかりで
そのはけ口に、密かに不倫とかしてしまっている女より
見た目は「妻・母親としてどうなの?」でも
ゆったり毅然としていて、口数は少ないけれどイイ女
千秋さんのほうが10000倍、良妻賢母じゃない?
実際(漫画だけどw)、千秋さんの旦那さんは、千秋さんにベタぼれだ。
高校生の息子がいる、熟年カップルですよ?
で、イケメンでちょっと不良がかった
息子の魅録君も、千秋さんには頭が上がらない。
口には出さなくとも、その筋の通った生き方を尊敬し、
いつまでたっても母親が綺麗であることを、照れながらも誇りに思っているのだろう。
ネットの情報なのでどこまで本当だかは知らないけれど
千秋さんは是非夏木マリさんで、とお願いしたそうだ。
結局、スケジュール上都合が合わずに秋吉久美子さんになったらしい。
夏木マリさん希望、というところで、にやりとした。
そうですよ、先生。そのとおり。
千秋さんを現実世界でやれるのは、恐らく彼女しかいない。
千秋さんは、秋吉さんのような、年齢不詳のほんわか美人(注 褒め言葉ですよ)ではない。
千秋さんのあの顔、あの目...「元ヤンキーねーちゃん」ですよ。
あの強い目は、ヤンキーとか、それ相応の人生(別にグレてなくてもそういう人生経験ってあるでしょ)の修羅場をくぐり、人生のあれこれを知っている人の目。
しかも、ただのつっぱりねーちゃんではないのだ。
酸いも甘いも嚙み分けた、というか。
華族出身、凄腕キャリアウーマン...これらの要素も入れなくてはならないし
しかも、彼女はお色気路線ではない。
そんな軽いものは超越している(だから、杉本彩氏も、千秋さんキャストには向かない)。
家庭円満(清く)
腹のすわった人間性(強く)
衰えない美貌(美しく)
はい、3拍子揃いました。
松竹梅千秋さん...貴方は確実に、今後も私の目標とする女性の一人です。
【美意識老化】を防ぐ方法
今日の一歩
中年になったら、同世代の女性と群れるのはやめよう
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毎日、ランチタイムに、会社から数ブロックにあるジムに行く。
この時間帯の筋トレクラスは、近所のOLさんで一杯になる。
恐らく同国で1、2を争う有名なチェーン系列のジムだけあって、
優秀なトレーナが揃い、清潔で、オシャレ、と3拍子揃っている。
若くて意識高い系の人達に、大変人気があるジム。
私の会社は社員の健康維持を推進しているので、ジム通いに補助金が出る。
差額は払っているけど、それだけでも結構な額だ。
でも、何もしなければ衰えていくのみのアラフォーの体にとって、筋トレは義務。
なので、この投資は必須。
Mircea IancuによるPixabayからの画像
さて、そんな意識高い系の20~30代の女性で一気ににぎわう、クラス後の更衣室。
ここでの、私のひそかな楽しみは意識高い女子の持ち物や、服や、シャワーを浴びて着替える間の習慣を見て、たるみがちな、自分の「女」としての在り方や美意識を調整すること。
まだ何もしなくても体系が崩れない華の20~30代なのに
わざわざお昼に、しかもこんな高いジムに来るような女の子達。
彼女たちは、大抵、美意識がとんでもなく高い。
美人さんが圧倒的に多い。
持ち物も、洗練されている。
(日本人は皆が皆持ち物や服装にこだわるし、センスがいい人が多いけれど
この国ではそんな余裕がないのか、キレイなのに持ち物や服装が残念!っていう人が大勢)
有名どころのブランドシャンプー、濡れた髪をつつむピンクの上質なタオル、
上下そろった、オシャレな下着...
ウェアやシューズも最先端のものだし、センスのいい色で揃えている。
そして、ちゃんと女として、やるべきことをやっている。
シャワーの後は、かかとがかさつかないようにクリームをたっぷり塗り、
香水をかけ、キチンとお化粧をし、ペディキュアがキレイに施されている。
そういう彼女たちを、ただ見ているだけで、同じ空間にいるだけで
たとえ自分のものは、彼女達のような一流品・ブランド物でなくとも
かかとにクリームを塗る、とか、あれ、ペディキュアが剥げている、とか
そういう感覚を忘れずにいられる。
勿論、私が密かに影響を受け、感化されているなんて彼女たちは想像もしないだろう。
自分のシャワーと着替えを済ませる間に、(横目で 笑)たっぷりと彼女たちを観察する。毎回、更衣室を出る時には、自分までなんだか洗練された気分だ。
銭湯や温泉のない外国では、他人のこんなプライベートな状況は、ジムの更衣室でもなければ絶対に見ることが出来ない。
女は、結婚して、子供もでき、アラフォーぐらいになると、一気に所帯じみてくるか、
または、子供の世話に明け暮れて、自分のことは二の次になりがちだ。
下着なんて見せる人は長年連れ添った旦那しかいないし、香水など付けなくても大した意味はないし。「キレイでいなくても、別に誰も困らない」なーんて、どんどん落ちていくのだ。
昔は当たり前だった美へのこだわりは、気を付けないと、あれよあれよと消えていく。
更衣室で彼女たちと共にいる自分が、余りにも場違いで恥ずかしく、
普段使いで使用しているモノが、余りにも所帯じみてみすぼらしくなったら終わりだ、と、自分に課している。
高いお金を払って、イメージ・アドバイザーの講義を受けているのと同じ効果があるかもしれない。
なんとも、ありがたい場所だ。
【夏木マリ】日本発、大人いい女たち
今日の一歩
やりたいことは、40代で見つかるかもしれない
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どうして今まで、この人に気づかなかったのだろう。
夏木マリさん。
アラフォーでも、アラフィフでもない、アラ還。
彼女を良く知らない人は、まずは、写真を検索して見てみるといい。
美人...プラス、貫禄...プラス、茶目っ気?...プラス...迫力...プラス...
もう一度言う。この方、60歳をとっくに過ぎておられる。
アラフォーの私なんて、彼女の娘の年代だ。
言葉が出ない、とはこのこと。
脱帽、そして、尊敬。
正座して、背筋を伸ばして、教えを請いたくなる(笑)
彼女は、40歳になってから方向転換して、自己発見したそうだ。
「やっとやりたいことが、40代で見つかりました」だって。
私の敬愛する寺田恵子さんは、まだアラフィフだ。
ってか、「まだ」!
しみじみ嬉しい。
まだまだ、心の糧になる、美しいカッコいい先輩方が沢山いる、と思えること。
そういえば、先日、高峰秀子さんについての本を読み、
なんと大人でカッコいい女性が昭和にいたのだろう、と感服した。
岸恵子さんのエッセイを読んだときにも、そう感じた。
お二人とも、その当時の日本を代表する美人女優・大女優。
でも、あれだけの美貌と栄光を手にしながらも、女優としての自分達のことよりも、人生の他のことについて、実に深いテーマで考えを綴っている。
日本には、あまりお手本になる女性がいない、等と生意気な考えでいたことを、今ここで撤回する。
これからは、同胞のキレイな女性を昭和に遡って追及し、その在り方から学ぶ楽しみもあるな。何といっても、同じ日本人なので、価値観や習慣上、共通出来るものが多々あるのだ。応用もしやすいだろう。
美人鑑賞及び分析は、一生続けていけて、自分を高めることが出来る、最高の学問であるとさえ思う。
【自信】の持ち方
今日の一歩
過去の失敗や今のつまづきも、熟させ昇天させれば、自信となる
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定期的に、プレジデント社の総合情報サイトをチェックしている。
オンラインサイトを一通り見て、興味をそそられる記事のうち、3~5つぐらいをクリックして見る。
今日はまず、これが目に入った。
記事の詳細をみるまでもない。
私みたいな、「美女鑑賞おたく」(笑)には、答えは明確。
そりゃ、自信があるから、に決まってます。
記事を開いてみると、ピンポーン!正解(笑)
(詳しくは上の記事にて)
そうなのよ。
幾ら外見が良くても、「わたしなんか...」って暗ーい思いを抱く人というのは、ちっとも魅力的に見えない。
そんな人とビジネスをしたいと思う人はいないし、友達にもなりたくないだろう。
結果的に、社会的に成功する確率は低くなってしまう。
だから、自信は侮れない。
自信を語るとき、避けられないテーマがある。
海外にいると、毎日のように実感すること...
それは、謙遜を美徳とし、奥ゆかしい日本人の、
「自信満々でいると、叩かれる・いじめられる・失敗した時に大変・図々しいと思われる」という見方だ。
和を大事にする日本人は、いつも互いを見ている。
劣った人は助けるけれど、自分より優れている人は、なんかズルい気になる(笑)
それで他人に足を引っ張られたりして、痛い思いをした人は多いだろう。
だから、無意識に、「自信満々でいるのは危ない」という自己防衛能力が働いてしまう(私もそうです)
「自分なんてまだまだ!未熟者」というのは、いかにも聞こえがいい。
でも、単なる謙遜ならまだしも、日本人はそこから「自分はまだ駄目だ」とダメ出しが止まらず、どんどん下がっていって、結果、自己卑下になってしまうことが多い。
気を付けよう。
自信とは、偉そうにすることではない。
自己アピールでもない。
他人との比較から生まれる自惚れでもない。
私は、この「自信」が欲しくて、若い頃から色々と試行錯誤してきた。
海外に住んでいるので、やはり大人しく慎ましく謙遜しているだけでは、なめられるし相手にされないことが多かったからだ。
試行錯誤してアラフォーになった今、やっと実感として、
キレイと成功に繋がる本物の「自信」とはなにか、自分なりに理解しつつある。
(この見方が正解かどうかは別として、私なりに納得した概念が出来た♡ということね)
「キレイ(自信)→成功」のからくり
私なりの言葉で表現するとしたら...
「自分が成りたい目標とする自分像が、具体的にわかっている。
それに向かって具体的に行動している。
その進歩を、多少なりに、実感できている。
未来は今より良くなるという希望があり
「自分、いい感じ」という静かな自己肯定感と
自分の人生の主人公として歩けている、充実感
いい意味で自分のことにのみ集中しているので
他人や世の出来事に無駄に惑わされない。
これら全てから来る、心の安定感」
長い...(汗)
これを持つ人が本質的に「自信がある人」となり、
その自信(落ち着き)が人をキレイに見せ、他人を魅了し、
結果として、たいがいの事に成功しやすくなっているのだと思う。
どうして自信満々でもちっともキレイじゃない人や、成功しない人がいるの?という問いにも、これで答えが出るのでは?
自信とは、偉そうに威張り散らすことではない。
成功は、単なるお金儲けではない。
他人との比較から出る、一時限りの優越感でもない。
そして、やっぱり、所詮10~20代では、手に入らないことが多い。
ある程度歳をとった人のみ、それも全員もれなく持つことが出来る特権。
それは、人生経験を積んだからこそ出る、奥行きから来る自信。
言い換えれば、
貴方がいままでどんな人生を送ってこようと
どんなバカなことをして、どんな失敗をしたとしても
結果、自分の人生に全然納得できていなかったとしても、
自信を喪失してはいけない。
喪失する理由にはならない。
失敗も嫌なことも後悔も含め、それらを「経験してきた」自信に変えよう。
貴方の人間としての奥行きとするべく昇天し、キレイに変えよう。
(加えて、筋トレして外見も磨こう 笑)
今からでも、キレイになれる=成功できる。
人間は、状況や経験が負であっても、それをキレイなものに出来る能力を持っている。
自分の心の在り方次第で、事実は面白いほど好転していく。
【人生】に、リハーサルはない
今日の一歩
本番は、後には来ない。今この瞬間が本番
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家に帰ってから、どんな装いをしてる?
何をして過ごしてる?
どんな音楽を聴いて、何を食べる?何を見る?
仕事・家事・家族のお世話で忙しくて
「何して過ごそうかな」なんて優雅に選ぶ余裕がない人も(はい、私です)
家でお皿を洗ったり、子供を追いかけている時の装いは、どんな?
出勤時のわずかな時間、どんな音楽を聴いてる?
一人でのランチ、何を食べる?
オン・オフをはっきりさせて、家では思いっきりだらけたラフな恰好をして
テキトーなものを立ったまま食べて
外に出たらシャキッと何もかもオシャレに、というのが悪いわけじゃない。
乳幼児を育てている人は、自分の恰好なんかに構ってられないサバイバル時期だしね!(私も経験しました...子育てママ、がんばれ!)
良い悪いの問題ではないし、
そんなものは個人がそれぞれ決めて納得出来ていればOK。
ただね
「イイ女になりたい」という観点から考えると
何をしようと、どこにいようと、お金があろうとなかろうと
やっぱり常日頃から「おしゃれに生きよーっと」と思って
やることなすこと全てを意識して選択して
日常の一コマを意識して
出来るだけ美しく過ごすようにすると、絶対にいい。
家でも綺麗に、とかいう話をすると、
「えー、なんだか疲れる...家でぐらいダラダラさせてよ」という気分になる?
私もそう思ってたし、最近まで、外の私を知っている人がみたらぎょっとするであろう装いを、家で平気でしていた。
一人ランチなんて、ラーメンを鍋からじかに食べたこともある(笑)
でもね
引っ越しをして、環境が変わって、新しい綺麗な空間に住み移ったんだよね。
で、これをきっかけに、自分も心機一転に、
家にいても綺麗に過ごそう、って決めてみたら
そしたらさー、日常がイキイキしてきた。
毎日が、デート本番、舞台の上、バカンス当日、みたいな感覚。
日常を「本番(外・オシャレ)」と「リハーサル(家・ダラダラ)」みたいな感覚でいた時はわからなかったけど、
よーく考えてみたら
「リハーサル」で毎日の半分ぐらいを汚く過ごすのは、もったいないよ?
だって、人生には限りがある。
特に、アラフォー以上は、「リハーサル時間」なんて優雅なこといってたら
あっという間に60代、70代、80代になるよ?
綺麗でいると、まず、自分が楽しい。
「自分、今、汚らしい」と感じる時、気分が下がるのが女というもの。
(あと、一部男性)
逆に、「自分、今、結構イケてる」と思うと、気分が上がるのが女。
(あと、一部男性...特に、筋トレマッチョ 笑)
ポイントです。
自分がどう思うか
もうほんと、これにつきる。
自分レベルで自分を「汚い」と思うとき
例え世間様が「あら、何てキレイにしてらっしゃるの」と思ってくれたとしても
なぜか自分の中のキレイ度は上がらないんだよね。
そして、その時間はなんとなくダラダラして、充実しない。
記憶に残らない。
損した気分になる。
一人の時
誰も見ていない時
そこでも綺麗に過ごして、人生を味わおう。